終わりが近づいたら考えるべきこと

1年の終わりかけがいちばん心に風を通す。

 

なぜか人は1年で何事をも区切って、12月31日までに様々なものごとを<片付け>なければならないと思う。それは例えば1年の間に溜まった汚れだったり、仕事だったり、後回しにしていた趣味のあれこりだったりする。

 

この場合の<片付け>には2種類あると思っていて、それは物理的に片付けることと、諦めることだ。

 

365日、毎日元気に過ごせるようには人間設計されていなくて、例えば女性なら月に1回厄介なくらい腹痛と眠気に悩まされるし、歳を取るほど二日酔いは治らない。

 

そんな時に部屋の隅々までお掃除が出来る訳なくて、またベッド下の掃除を適当にしてしまった…、お手洗いのマットにコロコロかけ忘れた…などとなってしまう。そんなこんなで溜まった汚れを、あたかも許しを求めるかのように年末にさっぱりさせてしまう。

 

学生最後で、人生でいちばん時間があるのは今かもしれないのだから今年こそはちゃんとドイツ語を勉強しよう。来年からは社会人なのだから、毎日図書館で新聞を読もう。そうそう、映画も沢山観て本も今のうちに読んでおこう。哲学の勉強、今しかできないかもしれないな。

 

そんなことを普段から考えつつ、また1日1日が過ぎ去り、移動中はまずスマホをチェックし終わってから本を読むものだからいかんせん読書の時間が少ない。スイッチが入れば観られるが、2時間を拘束される映画は少し飽きてしまうこともあって、ついタブレットの電源をつけてYouTubeを見る。

 

年末になると、普段の自分を戒めつつも、「今年は無理だったけど、来年なら頑張れる。」そんな都合の良いことを考えながら目標を諦め、そしてあたかも新たな目標のように「今年こそ」と語るのだ。

 

人間、必要に迫られないと何事もできないのだと思う。仕事があるから早起きするし、恋人にかわいいと思ってもらいたいから髪がきれいになるよう丁寧にトリートメントを塗り込むし、乾燥しないようにパックをする。

 

たぶん私がドイツ語を勉強するのは本当にドイツに行けることになった時の前だし、新聞を読むようになるのは尊敬する人が必ず新聞を読んでいる、と知った後だ(私は、こういうことにめっきり弱いのだ。すなわち、凄いと思う人にすぐ影響される)。哲学を勉強するのは、うーん、こればかりは来年くらいなら本当に出来る気がする。なんとなく。

 

年末は色んなことを諦めないといけません。意外と時間がないし、「今度ゴハンいこ!」を2017年に叶えることはたぶん無理です。諦めるからこそ、本当にもう一度飲みたいなと思う人や、今後も時々近況を聞きたいなと思う人にはちゃんと声をかけなければと思います。案外声を掛けていなくてもひょんなことから会える人はいますが、運に頼っている内はまだまだ人間1回目だと思うのです。

 

さっ、12月も頑張りましょう。

 

今日:講座に遅刻しています

嬉しいこと:疲れた時に買ったいか明太がとても美味しかったこと