箸が休むって何なんだ

今日の夕食は、商店街にあるお肉屋さんで買って来たらしいハンバーグだった。さすがお肉屋さんなだけあって、とてもジューシーで、ご飯が足りなくなってしまった。

 

献立はシンプルで、その中に焼きネギのマリネがあった。食べながら無意識に「これはいい箸休めだなあ」と思ったのだが、そこからずっと、あることが気になってしまった。

 

えっ、箸って休んどるか?

 

たしかに、ハンバーグはとてもよくお箸が動く。ナイフとフォークじゃないんかいというツッコミはいらない。焼肉屋さんを経営するお肉屋さんから買うハンバーグは、お箸と決まっている。例え付け合わせにコーンがあっても、だ。

 

それにしても箸休めというのはよく意味が分からない。抑えられない食欲に任せるまま動くお箸を制御するものじゃないのか。箸休めが美味しかったら、全く休まらないじゃないか。まして箸休めはメインと味の傾向が変わってさっぱりすることが多いから、口の中が新鮮でよく進んでしまうことが多い。これは本末転倒だ。

 

念のため検索してみると、やはり口の中をさっぱりさせ、またお箸を清める意味が、箸休めにはあるようだ。なるほど、お寿司の合間に甘酢しょうがを食べるように、箸休めは存在するのだなと思った。

 

もしかしたら、箸休めというのは便宜上の言葉なのかもしれない。日本人がよくやる、<現実に沿うとそうは言わないけど何となくそれっぽくで表してみようシリーズ>かもしれない。ちなみにこのシリーズNo.1は「刺身」である。

 

さきほど「箸休め」について検索してみたと言った。1番上に出てきた記事を見てみると、最後の方は箸置きの広告記事だった。なんだか、損した気分になってしまった。やはり広告は、見られないし、見たくないし、消えて欲しい存在なんだなあ、と再認識した。

 

皆さんのそんな気持ちを代弁するべく登場したのが広告ブロッカーというアプリでして、私もモニターとして使用したんですが、それはもう初日からまったくストレスが無いん…………(続)

 

今日:姉が帰ってしまいました

明日:同窓会があります ドキドキです

明るい未来の話

未来の話が必ず明るいとは限らない。どう考えても暗くなってしまう時期はあるし、始まっていないからこそ不安なこともある。

 

クリスマスの輝きが時に独り身の目を潰してしまうように、新年のきらめきが未来への絶望を思わせる時だってあると思う。

 

漠然とした不安って、周りがなにかを言って紛れる割合はきっと多くて2割ぐらいで、結局は自分の手を動かさないといけないのだと思う。

 

料理の良いところは、気を使わないといけない作業が多い分気がまぎれるし、しかも料理という自らの欲求を満たすための行為であることから、手っ取り早く幸せになれることだ。

 

そういえば、実家に帰ると必ず肥えてしまう。実家はお茶をする頻度が尋常でなく、冗談抜きで3食毎に紅茶を淹れては何かをつまもうとする習慣があるため、常にお腹がいっぱいになってしまう。

 

なんというのだろう、実家と自宅が別々で良かったと思う。帰省という名目があるからバイトも気兼ねなくずっと休むことができるし、たまに集まるからこそ飽きもせずずっと家族と過ごせるのだと思う。やっぱり甘やかされるのは気持ちがいい。

 

昨日はふと、広島で1番好きな本屋さんに行きたくなり、お買い物帰りの父にそこまで運転で連れて行ってもらった。なんてことない本屋さんなのだけど、天井が高くて、棚の端っこ、通路に一人がけの椅子が置いてある。併設しているカフェは眺めが良くて、今はもう無いはずのドーナツがとっても美味しい本屋さんだ。

 

装丁がいまいちの村上春樹と、私の友人がとても好きで、見かけるたび立ち読みしていた坂木司を初めて購入してみた。新年のお供に早速仲間が加わった。

 

積ん読している本、なかなか観られていない映画、開拓できていない音楽、過去を振り返ればけして明るくは無いのだけど、生きているんだから何となく明るくバトンタッチしたいなと、新年に丸投げしてみるわけです。どんどん、趣味を増やそうと思う1年です。新年、あけましておめでとうございます。どうぞ、今年も可愛がってください。

 

今日聴いた音楽:明るい未来/never young beach

私、ギュンギュンします

年末だというのに天気が良い1日だった。とはいえ夏女の私、冬には常に「寒いんじゃけど」「もうちょい晴れてくれんかね」といった文句があるのだけど、今日はちょっと仲良くできそうな気がするくらい、過ごしやすい日だった。

 

年末といえば大掃除。自宅の掃除は概ね済ませて帰省してきたので、実家でも少しやってしまおうかと、引っ越し以来殆ど開かずの間になっていたクローゼットに手をつけた。

 

私は以前から紙袋や袋などといったものをついつい集めてしまうクセがあったのだが、その根源ここに極まれりと言わんばかりの、母が集めた跡があった。最近断捨離傾向にある私がどんどん捨てていこうとすると少し怒りを買ってしまったため、これも同じく段ボールのまましまい込んであった沢山の本たちを、沢山のレコードと一緒に並べることで機嫌を取ってみた。

 

私はいくらお金がない時でも、この本を読みたい、と思ったら絶対に迷いなく買ってしまうし、お陰でどんどん本は増えていく始末なのだが、まさに母もそういうタイプなのだと思った。

 

筒井康隆、森瑤子、村上龍司馬遼太郎、とくにこの辺りがもう、下手な本屋さんよりずらーーっと並んでしまう。正直、びっくりした。ここまで行くか…すごいな…と。

 

私が社会人になって、お金をちゃんと貯められるようになったら、大きくて安定している本棚を設置してあげたいと思った。母は本を繰り返し繰り返し何度も読むタイプで、気分で手に取りたい本が沢山あるだろうから。

 

本との出会いもあれば、別れもあるもので、今日は中学か高校の時に買い揃えた少女漫画を一気読みした。それらはすでにフリマアプリで落札されたからだ。梱包が完了次第、私のものではなくなってしまう。

 

とっても、良いですね。私は女子校だったもので、男女共学という文化がよく意味が分からないです。思春期に男子と一緒に生活したら、私、きっと、こじらせてしまうわ。

 

恋愛っていいな。季節のにおいが分かるっていいな。いつ読んでも、そう思わせてくれる作品が明日、旅立ちます。

 

今日:姉が帰ってきました

今日読んだ本:ストロボ・エッジ

ね、おねがい

今日が卒論の提出日だと思って、私、頑張る。2時間前、お風呂を上がったばかりの私は母にそう宣言した。母は早いうちに寝室に引き上げ、私のみがリビングに残された。ホットカーペットがありがたい、年末である。

 

いつのまにか、引っ越しに備えて家を探していた。間取りを見るのも、写真を見るのも、そりゃあもう楽しい。あっという間に時間は溶けて、ああでもない、こうでもない、こうするといい、こうするもんだ、そんなこんなで、あ、日付超えた。

 

父は今日夕方からいそいそと飲み会に出かけていて、姉は明朝帰省してくる。それは即ち、平穏な夜は今日が最後ということだ。今日のうちにやってしまいたい。いや、今日っていうか、正確には昨日だけども、いやもう、寝るまでが今日やん、そんな細かいこと言わんといてや、ね、もうええわこの話。

 

私は自分に関する計画を立てることがとても好きで、それは例えば初任給をどう使ってどう貯金をしようかだとか、自動車学校にこう通えば1月中に免許が取られるんじゃないか…といった、目論見に近い計画である。

 

意外と堅実なところがあって、お金を貯めたらこうしよう…だとか、考えながらまじめに生きようとしている。姉はよく、あんたが1番お金かかってない娘じゃと言う。なんだかんだでおねだりをした生涯金額は大きい気がするのだが、進路という点ではたしかにそうかもしれない。

 

先日3姉妹でスカイツリーのブッフェに行った。ローストビーフを目玉商品として謳うわりに、なかなか出来上がらずやきもきしながらも、他愛もない話をひたすらにし続けた。とても楽しかったんよと父に話すと、父も嬉しそうで。母は3姉妹食事会開催が決定した時から嬉しそうだった。

 

相変わらず長女は地元が嫌いなようで、こればかりはどうしようもないのかもなあなんて諦めている。でも私は、もっと姉たちと遊びたいから近くに住んでほしいなあなんて思う。福岡いいよ、福岡。

 

先日祖母に会いに行った時、就職が決まったよ、少し近いね。社会人になっても、遊びに来るけんね。なんて言っていたら、真顔で「じゃあしーちゃんはこっちの人と一緒になるんじゃろうねえ」と言われた。そ、そうなんかな!?そういう、もん!?

 

結婚だなんて、現状の自分から延長した先には見えないのだけど、3.4年もしたら、もしかしたら、しちゃうのかもしれない。結婚をして、すこし広いお部屋に住むようになったら、本を置くスペースをたくさん確保したいんだけれど、どうだろう。大きいテレビは映画を観るためで、広い壁はポストカードを貼らせてほしい。せめて、20代のうちは。ね、おねがい。

 

なんでもそうで、一度やめちゃうと億劫になっちゃいますよね。そして久し振りにしようとすると、やっぱりすこしなまっているものです。また明日も、明後日も、そして2018年も、徒然なるままに文章を書こうと思うのです。

 

今日:ホットカーペットの上でお昼寝しました

昨日:お布団の中で本を読もうとしたら寝ていました

空気を読まない主にバス

約半年間、毎週のように通ってきた講座が今日終わる。最後の講座、最後の日。

 

この半年間それは色んな気持ちを経験して、例えば恥ずかしさ、悔しさ、惨めさ、勿論喜びも、幸せも、楽しさも、とても心が忙しい日々だった。

 

たぶん私はコピーライターになることはない。コピーライターになる為の努力を、今後するとは思えない。もっとやりたいことを見つけたと言ったら逃げているのと同じかもしれないが、コピーライターはあくまでも憧れだったことに、半年間、17万円かけて気が付いた。

 

私がコピーライターに興味を持ったのは、哲学の影響だろうと先日気が付いた。東京電通に併設されているアド・ミュージアムに行った時のことだ。それまで「何でこの講座受けようと思ったの?」と聞かれてうまく答えられなかった自分のことを見透かしたように、ぶわっと記憶の風が私の中を通り抜けた。

 

浅学甚だしい私は哲学に関する知識を持ち合わせていないも同然だが、昔から哲学者の思想を知ることが好きだった。思想を知ると言っても、例えば学校の教科書に「この人はこんな教えを…」だとかいった程度のもので、それでも哲学者の格言を聞くと、一気に世の中の見え方が変わったような気がして楽しかった。気持ちよかった。

 

哲学者、文学者、編集者、ライター、コピーライター、さまざまな変遷を遂げて色んなものを目指してきた。何者にもなれなかった私は、収まった場所でにこにこと笑っている。人生、そういうものらしい。

 

今日ぐらいは、気温は低くても許すから、せめて晴れていて欲しかった。天気は曇り、傘を持つか迷う程度の小雨、バスに乗るとファストフードのような独特な匂いが立ち込めている。バスのタイプはあまり見かけない旧型だし、珍しくカップルの乗車が多く何の気なしに目をやった女性たちは無意識に何かを警戒した目をしている。うるさい、だまれ、そっとしてくれ。

 

私は今、とても寂しいのだ。それは講座が終わることに便乗した別の寂しさかもしれないが、なんだか心がシクシクしている。

 

最後の講座には、遅刻せずに着けそうです。書き出したら止まらないけれど、とっても楽しい時間を過ごせる同期生でした。今日は、飲むぞー!明日は車校なんだけれどね。

 

今朝見た映画:アバウト・タイム

感想を一言:幻想かもしれないが結婚っていいな

もしかして:ブログ辞めた

1.2.3.4.5.6.7.8.9.10。文字で読んでも6ぐらいで飽きるくらいにはブログを放置していた。理由は簡単、会社でのアルバイトが、社会人のようなスケジュールで寝起きすることを強要してくるからだ。

 

9時に始業、18時に退社。18時20分にはモノレールに乗って、今年4年目になったアルバイト先に引き続き向かう。自転車で行く気力も時間もなく、疲れ切った顔で帰りはモノレールに乗る。

 

夜間運行を間引いてサボるモノレールを待つ間、たいていファミリーマートに行く。チキンカツ弁当というのは美味しいものだな、と思いながら、深夜に食べ過ぎると眠れなくなるし、明日のお弁当に何切れか入れておこうと仕込みを始める。

 

お昼を準備するならば朝も準備しておこうと、食パンを取り出し、ちょっぴりのマヨネーズと、堂々としたケチャップを滑らせる。チーズを載せて、ピーマンをキッチンばさみで切りながら載せる。冷凍している細切りのたまねぎを載せたら、アルミホイルを被せておく。最近夜はとびきり寒いし、うちのエアコンはぼろぼろであまりきかないから、キッチンにピザトーストを置いていても痛むことはない。

 

朝になれば寒さと眠気に「今日こそは無理まじで無理」とひとりごちながら、ティファールに水を入れ仕込んだパンをトースターに突っ込む。顔を洗ったり、もそもそと着替えているうちに朝食が出来上がる。

 

すぐに食べればいいのだが、私は一度座るとずっとYouTubeを見てしまうところがあるから、朝食前に立って全身鏡でお化粧をすることに決めている。会社では当然学生が一番若いのでそれだけで少々粗が見えても許される気がするので明らかに手を抜いている。それどころか会社では、アルバイトを掛け持ちするだけで褒めてもらえる。無理はしちゃいけないよね。

 

ピザトーストを食べ終わって、やっぱりたまねぎは食後少しにおいが残る気がするから朝食に向いてないなと思いつつ、でも良いアクセントになって美味しいのだよなとも思いつつ、歯磨きをして、すぐに家を飛び出す。だいたい、起きてから30分くらいのことである。

 

普段は必ず座れるモノレールも、通勤の時間となると時々座ることができない。目の前に座っている大体の人は、目を瞑り揺れに身を任せている。このまま冬眠したいよね。私もそう思うよ。

 

12月というものはめまぐるしい。12月全体が、1月から11月に溜め込んだあれこれを全部請け負おうとしていっぱいいっぱいになっている。それどころか12月は、来年への引き継ぎもしようとするのだから冬眠などする余裕が無い。11月もっと仕事しろ!1月お前は少し呑気過ぎるぞ!

 

卒論にまだまだ終わりは見えないながら、今頑張っているアルバイトが実を結び最高の卒業旅行シーズンを迎えられると信じている。ある意味諦めながら、力を抜いて、肩こりのない2017年で終わりたいなと思う。

 

料理や読書というのは、本当にいいものだと思います。心に余裕がないときこそ思い出しにくい存在ではありますが、なぜ料理や本が存在するかといったら、、、そういうことなんですよ。

 

今日:褒めて貰えて嬉しいです

明日:最後の講座です、言葉にできない

人間的にバグった日

今日は本当にトチり散らかした。

 

2つのバイトが掛け持ちになっている日だったのだが、どちらにも遅刻してしまった。もはや意味が分からない。バイトに行かなきゃいけない時間に眠っていたり、バイトが始まる時間にマスカラを買っている呑気な女は滅びた方がいいと思いながらひたすらヘコんでいた。

 

最近朝が早い日が続き、寝不足になっていた。そのくせして昨日は、ひとりでボジョレーヌーボーの残りを空けてしまった。なんのやけ酒でもなく、長く続いた講座の課題が最終の提出を迎えたために乾杯をしたのである。お酒を飲んで寝坊するのは社会に適合していない証。

 

トチるといえば、マンガとDVDを自分のバイト先で借りておきながら延滞している。しかも、DVDは見てもいない。今日遅刻したついでに持っていけば良かったものを、テンパりすぎて持って行くのを忘れていた。何をやってもダメな日ってあるんだな。

 

とっても眠いので、もう今日は眠ることにします。明日はゼミ、そしてまたバイトです。ちゃんとしなきゃいけませんね。生活がたるみすぎているので、気を引き締めます。

 

今日:メガネを買いました。とても嬉しい