気持ちの浮き沈みを語る

気持ちが浮いたり沈んだりする。何気ない他人の一言で、行動で、傷付いたり嬉しくなったり、それはもう単純に変化する。

 

気持ちの浮き沈みは基本的に無駄なことだと思っていて、だからこそできるだけしたくないと思う。それでも、浮き沈みを意識してしまっている以上私は浮き沈みから逃れられないのである。

 

とても気分が晴れ晴れしていて、すらすらと、あれもこれもと文章が書ける時がある。他人の何気ないことで何となくで勝手に傷付いてしまい、なんだかずっとモヤモヤすることだってある。

 

心がモヤモヤしている時考えるべきことは、大抵、明日になればどうでもいいということ。起きるときには、その日の寒さの方が重大ニュースだ。

 

その内寝たり起きたりを繰り返せば、きっと暑くてたまらない夏がやってくる。夏はよく冷えたコーラか、商店街のフレッシュジュースを飲めばご機嫌になるので、とても生きやすい季節だ。

 

今日はなんということだろう、あまり晴れた気分ではないのだが、いかんせん冬である。盛り上げてくれるには温度が上がりきっていない。何とかしようと鰹のタタキを買ってみたが、今日は調子が上がらない。仕方ないので、帰宅したら好物の麻婆春雨もこしらえることとする。

 

もしかしたらこのモヤモヤの正体は、今読んでいる小説から乗り移ったものかもしれない。丁度主人公たちが苦労している場面で、今日のお昼休憩は終えてしまっていた。

 

うんうん、きっとそうだ。よし、帰って好物を食べて、熱いシャワーを浴びて、お気に入りのマグカップで紅茶を飲みながら小説の続きを読もう。そうすればきっと、また呑気な話をつらつらとできるようになるだろう。

 

鰹のタタキ、麻婆春雨、どうもありがとう。

 

今読んでいる本:楽園のカンヴァス/原田マハ

よく思うこと:つくづく30代以上のおじさんが好き