24時間中どれくらい私のこと考えてる?

最近ひたすらに感じているのだけど、私は結構メンヘラなところがあると思う。この発言には自虐的な意味は無くて、基本的にメンヘラはメンヘラである自分が好きゆえにメンヘラたるところもあるため、自意識の発散なのだなと認識してもらえればそれで良い。

 

よく同世代の友人と、「じぶんたちが中高生の時にスマホが無くてよかったよね」という話をする。実際に存在はしていたが、あくまでも普及していたかどうか、という話だ。

 

ところがよく思い返してみれば、私たちの時代にはガラケーというものがあって、今考えれば途方も無い読み込み時間がかかるウェブサイトを毎日張り付いて見ていた。mixiやHP文化が、私たちの青春を荒く包み込んできたのだ。

 

例えばHPは仲のいい子と開設するのが定番であって、それはいわば縄張り意識の目に見える形であった。誰とHPをしているか、誰のリンクを貼り付けているか、コメントの多さ、閲覧数の多さ、プリクラが載せてあるであろう鍵付きリンク、意味深なことを追記に乗せるリアルタイム型記事など。思い出すだけでウンザリしてきた。

 

現在のSNSは、<盛り>を手にした若者が見た目を武器に勝負している傾向にあると思う。万年細目で平たい顔族の私であっても、目がまんまる、顎がシュッとしてキツネの耳がつくアプリは変革をもらたしたのだ。

 

私が今中学生だったとしたら、やはりTik Tokに動画を載せたり、ツイッターで#おしゃれさんと繋がりたい #暇人絡んで #Kぽペン集まれ とタグで喋っていたと思う。#の存在しない世界に連れて行ってやろうか。

 

かつてはラインの既読がつく瞬間を、ほかのラインを消化しながら今か今かと待ってみたり、返事がなければ追い討ちのように連投したりと気持ち悪いことをしてきた私だが、やっと最近大人になれたように思う。

 

ところで、物分かりの良さと都合の良さって紙一重ですよね。

 

今日:車校が休みになってしまいました

嬉しかったこと:春財布を新調しました

【ネタバレする】キングスマン

なんて美しい映画だろうか。鍛え上げられた若さ溢れる紳士、シワの入り方さえも品のある老紳士、真顔でバカスカ銃を撃っていく。格好いいに決まっている。

 

キングスマン1作目を観たのは、年末だったか年始だったか、とにかく、実家にて家族全員で観た時だった。私は帰省する前必ず、バイト先で何か借りてきてほしいDVDやCDが無いか家族LINEにて問いかける。キングスマンは、姉からの強い要望だった。

 

私は映画となるとラブストーリーやヒューマンものに逃げてしまって、アクションはてっきり苦手だと手に取ろうとしたことも無かった。<有り得ないこと>を見せられても入り込めないから、とハウルの動く城さえ見ていないくらいだ(見ていない故に、ハウルが本当に有り得ないことだらけなのかは分からない)。

 

家族で見たときは、皆うっすら涙を滲ませ、ラストに笑い、照れ臭いながらも感想を語り合ったような記憶がある。面白かったー!そう強く印象に残っていて、コリン・ファース、やっぱり素敵…!と思っていた。

 

待望の、11日ぶりの休みであった今日、よし!キングスマン観に行こう!と決意し、映画館の会員更新をした特典で1,000円で入場した。この映画館は金曜日、会員は1,000円で映画が観られる。扱っていない作品があったりもするが、出不精な私には丁度いい、有難い存在である。

 

平日の昼間なのに意外と人が多いな…と感じつつ席に着いた。映画泥棒流れないな…なんて思いつつコーラを飲んでいると、懐かしいキングスマンの文字が。前作のストーリーは結構忘れてしまっていたが、観ていく内にどんどんのめり込む自分が分かった。

 

なんと言ってもハリーが記憶を失っていた時のこと。エグジーとハリーでは必ず通じると思われたやりとりにも、壁を作ったように応じない。それどころか蝶に夢中になった彼は少し頑なになっているようにも思える。

 

まるで、親が認知症になってしまったようだと思った。

 

最近の小説や漫画には現実的な描写が多くて、世代からしてもいつ親がボケてしまうかは分からないなと陰鬱な気持ちになることもあった。まるで子供のようにわがままを言ったり、小さくなって震えるようなことがあったら…と自分の親を重ねるだけでやりきれなくなってしまう。

 

私にとってあのハリーは、そのような姿と重なって見えた。かつて切れ者だった人が、全く話も通じなくなり心を閉ざす姿は何とも言えず苦しい。

 

だからこそ彼がまた例のバーで<いつもの>流れを見せてくれた時は、とにかく涙が止まらなかった。良かった。帰ってきてくれた。あー、、、良かった。ハンカチ忘れた。

 

私は大学に入ってすぐ観に行った「アナと雪の女王」にもハンカチを忘れ、同行した同期にハンカチを借りた気がしなくもないな、と思い出した。

 

ハンカチを持つのは女性に貸すためさ、と言うロバート・デ・ニーロも、「マナーが人を作る」と言うコリン・ファースも、どちらもたまらなく格好いい。

 

両親に観せて、2人を秒でアガらせたいなと思った。

 

今日:良い休日でした、とっても

目標:お金を漠然と使わない

もうへとへとや

やっと、やっと今日で10日間のバイトの日々が終わる。

 

この10日間の間に、研修が始まり、終わり、飲み会があり、独り立ちをして、パートのお姉さまたちと仲良くなり、いろんなことがあった。

 

自分がまだ大学生であることを忘れそうな日々だった。自動車学校で、元ヤンの先生とげらげら笑いながら運転をして、「社会人は辛いぞ〜」と楽しそうに脅される日もあった。

 

先月もそれなりにめちゃくちゃ働いていたので、お給料は結構あったのだけれど、使う暇も無かったような気がする。せいぜい、バイト終わりにお寿司を買っても気が咎めないくらい。

 

だからこそ来月は、沢山の旅行を楽しもうと思う。成り行きではあるが少し実家に帰る予定もできたし、その時は久し振りに家族全員が集まるので、とっても楽しみなのである。

 

相変わらずバイトにお弁当を持参する日々は続いていて、最近はお弁当の隙間に悩むことも無くなってきた。自分で言うのは憚られるが、うまくなってきたと思う。いんげんの胡麻和えはベテラン選手である。

 

バイト先のお姉さま方はわたしの母と年齢層が近くて、だからこそとても温かく感じる。そういえば母も職場に大学生がアルバイトに来ているだとか、時々話していたなと思う。

 

色んなことがバタバタする時期で、色んなことが面倒に感じたりもする。けれど、ひとつずつひとつずつこなしていけば確実に前へ進めると、ふしぎと信じることができる。

 

相変わらず読書は楽しい。積ん読を読み切るぞ!と決めてからは毎日少しずつでも読書の時間が取れていて、いいもんだなあと思う。

 

早く新居に引っ越して見たい。新しい部屋を、わたしだけの部屋を作り上げたいと思う。

 

頭はぼーっとしているけれど、やる気はあるぞ。

 

今日:バイトのダブルコンボです

明日:死ぬほどだらだらしてやります

ボンヤリした将来

最近、目が悪くなって来た。ずっと裸眼で通して来た両目が、限界だと力尽きんばかりにぼやけた世界を映し出してくる。

 

大学に入ってからすぐ、裸眼で授業を受けていた私は意地でも板書を見るために前の方の席に座っていた。私は大学1.2年の頃は授業中にツイッターすら見なかったし、割と根が真面目なのである。

 

しかしいつからか、写りの薄いスクリーンが見えづらくなり、黒板の文字がぼやけ、目を凝らすようになった。そしてある日友人と駅ビルのメガネ屋さんで、初めて度入りの眼鏡を買ったのだ。

 

とはいえ普段からかけることはなくて、それはもっぱら授業中のみ使われた。就活中はまじめに見えるかなと思って朝からかけてみたりしたが、気持ち悪くなるのでバスの中で外していた。眼鏡不適合である。

 

目と歯は取り返しがつかないから、大事にしなさいと言われてきた。そう言う父も母も眼鏡をかけたりコンタクトを付けたりしている。母は眠る前にギリギリまで本を近づけて本を読むし、父はiPhoneでなにかを見せると眼鏡をずらしながら睨みつける。これはただの老眼か。

 

今日、レンタルしてきた『帝一の國』を見るためにリビングの中でわざわざ眼鏡をかけた。いつの日か、ソファからテレビの文字すらもぼんやりしてしまうようになったのだ。テレビの横にある本棚の背は尚更、「ノルウェイの森」くらいしか見えてくるものはない。

 

私もいつか、常時眼鏡をかけるようになるのだろうか。コンタクトを毎朝入れるようになるのだろうか。いい歳になったら、視力矯正手術が進歩しているのだろうか。

 

いつまでも竹内涼真くんの笑顔をこの胸に刻み込むため、目はきちんと大切にしよう。あれ、こう言う話をしたかったんじゃないんだけどな。

 

今日:カップ麺を突散らかして散々でした

でも:そのお陰で洗濯を片付けました

世間知らずの小生に告ぐ

ずっと働く日々が続いている。賑やかな毎日が始まるとのたまった日には気がついていなかったが、どうやら10連勤の真っ最中であるようだ。

 

先日アルバイトの帰り、ぼーっとしながらミートパイを買うかどうか迷っていたらいきなり電話がかかってきた。私に電話をいきなりかけて来る人物は2人いる。1人は、私がなにかを決めかねている時の母。帰省するかどうか、不動産をどう決めるか、色んな時に彼女のスイッチは突然入る。一度思いついたら突っ走ってしまう、そんなエンジンを母は抱えている。

 

もう1人は、ゼミの教授。この時は彼からの電話であった。彼に関しては、普段何分遅刻してゼミに行こうがにこやかに迎えてくれるのに対し、都合の悪いことはメールに残さず、電話ですべてを済ませてしようとするところがある。いたく正直で、学者ということもあり少し無神経なところのある彼からの電話はこうだった。

 

「みなさん(4年生)の中で、いちばん良いところに就職したのは誰ですか?」

 

これは参った。先生、これは4年生の内の1人である私に聞いてはいけない。そんなことを聞かれても、私のゼミはとにかく他人に興味の薄い人間ばかりだ。飲み会では良く話してもプライベート、まして就活について報告したりすることはまずないのだ。

 

ほかのゼミ生の進路を知らずそんなことを聞かれた私はなにも答えられず、私の会社も中小企業です、と答えておいた。あからさまにがっかりした声になる先生は、とても嘘がつける人じゃないなと可笑しく思った。

 

いつもは教えられてばかりだけれど、先生、これだけは私が教えてあげようと思います。事情があるとはいえ、就職先を有名かどうかで測るのはいささか不器用のなせる技です。Wikipediaに載っていようと、CMに往年の女優が出ていようと、はたまた誰も聞いたことがなかろうと、それが1人の人の人生なのです。人間の通る、道なのです。

 

怒ったわけではありません。悲しいわけでもありません。今の先生にとって、頭では分かっても完全に理解しやすいことであるとは思えないから。

 

いつか面と向かって先生にこういう文句を言えるように私、ちゃんと出世して、社長にでもなってみせます。お互い沢山、勉強しましょうね。

 

今日:バイト先の居心地が良いです

明日:運転!運転!車〜!

消える運命の白いふわふわ

期待すると雪は降らないし、期待しなければ雪は降る。昨日から今日にかけて私が学んだ、1番のことである。

 

昨日はアルバイト先で新年会があった。いつものごとく、閉店後に飲み会を始めるため、開始はすっかり夜遅い。22時30分から焼き鳥食べ放題とは、喜んでいいのか泣くべきなのか。

 

兎にも角にも、働いてお腹が空いていたわたしはとにかく食べた。どんどん串を、焼きおにぎりを、塩だれきゅうりを頼み、どんどんお腹は膨れていった。

 

最近は飲み会に恵まれていて、先日同期とひょんなことから集まった時も楽しくお酒を飲んだ。ほろ酔いでお店を出て、いい気分になり、セブンイレブンウイスキーを買って寒い寒い言いながら宅飲みをする、明らかに大学生、みたいなことをした。とても満足した。

 

それにしても最近はとても寒い。お風呂に入る時の急激な温度変化が危険であると取り沙汰されているが、それでは服を脱ぐのを躊躇ってしまうばかりだ。

 

私はお風呂の最後に冷たいシャワーを浴びることを常としていて、これは小学生の時から10年以上続けている習慣だ。心臓に良くないらしいぞと心配性の姉から何度言われても、わたしは「ぬるいだけだよこれ」などとギリギリの言い訳をして冷たいシャワーを浴び続けてきた。

 

そんなわたしでも、ここ2.3日のお風呂上がりの異常な寒さには驚く。驚くというか、ドン引き。いやいや、ここ冷蔵庫じゃないし。常温保存できちゃうよ、じゃないし。

 

雪ではしゃげるほど陽気ではない夏女なのだが、昨日は新年会から一緒に帰った後輩たちがとても可愛くて、なんだかとてもいい思い出だなと思った。そこまではしゃいでいなかった方の後輩が、道路にわたしの名前を書きだしたときは、唐突すぎてとても笑ってしまった。

 

アスファルトに掘られたわたしたち3人の名前は、また雪となり水となり消えていったのだろう。刹那的なものは否応なしに美しい。綺麗な思い出として、保存していたいと思った。

 

今日:ミートパイを3種類買いました

最近:お弁当のおかずがあまりにも固定されています

お腹の空く牛タン

先日、人事と2人で食事を共にする機会があった。一度会社のアルバイトに遅刻してしまった時、連絡をくれた人事が車で迎えに来てくれたことがきっかけである。

 

私の通っていたコピーライター養成講座で会社の広報が講義をしてくれたこと、アルバイトとして一足先に会社の一員になることで学んでいることが高まり、送ってもらう20分間は話が止まらなかったせいかとても短く感じられた。

 

もっとこの人とお話をしたい。私の目標である人事の口から語られる会社を見てみたい。いつしか私はそんなことを思うようになっていた。

 

因みに、私が新しい環境に入ったばかりの時にめちゃくちゃ意識が高くなるのはいつものことである。

 

そしてついに念願が叶い、2人で食事をすることになった。アルバイト終わり、待ち合わせをして、どこでご飯を食べようか、なんて話をしながら牛タン屋さんへ行った。

 

私はあまり牛タンを食べたことが無くて、食べるとしても焼肉の最初に食べるようなもので、わざわざ牛タン専門店で食べるようなことはしてこなかった。元恋人が牛タン屋さんでアルバイトをしていたからだろうか。悪夢のうちの一つである。

 

ともかく殆ど初めての牛タン屋さんに、私は何を期待してもいいのか分からないままずっと話を続けていた。そしてうやうやしく登場した牛タン。意外とシンプルで、それでも分厚く魅力的な見た目であった。

 

味ももちろん美味しくて、こりゃ白ごはんが幾らあっても足りないぞ…と思いつつ夢中で食べていた。ような、気がする。気がする、と言うのは、食べた気が全くしなかったからである。

 

http://nom1nom2nom3.hatenablog.com/entry/2017/10/07/180046

 

ふつう、白ごはんとスープだけであってもお腹いっぱいになりそうなものなのに、それに牛タンが何枚もあったというのに、食べた気がしない。これはやっぱり、緊張していたのだ。あの時と同じだ、なんて思いながら。でも今日はビール飲んでないや、と可笑しく思ったりした。

 

一刻も早く昇進して、人事と緊張せず、楽しくお酒を飲み交わせるようになりたいと思う。

 

牛タンのことを思い出して、ビールと牛タンがほしくてたまらなくなった私であった。

 

今日:肩こりがひどいです

嬉しかったこと:初めて会社のマッサージチェアを使いました