遅れて来た5月病

冷房のきいた部屋で温かいコーヒーを飲む幸せを知った。小学生の時からずっと紅茶を愛してきた人間としては、コーヒーを自ら嗜むようになる日が来るとは思っていなかった。

 

暑い日が続いていて、お弁当を作る気力も無くなってしまった。よれよれで朝コンビニによっても食欲が湧かず、お昼に袋を開けてもため息が出そうなトンチンカンセレクトをしてしまう日々が続いていた。

 

外に出るのも好きなんだけれど、家でひとり、ゆっくりと作業をするのがとても好きだと思う。作業といっても内容はさまざまで、それは家計簿をつけたり、部屋の整理をしたり、映画を流しながら掃除をするようなことだ。

 

社会人になってから、「お金はあるけど時間がない」という状態を言葉そのままに感じている。だからこそ少し時間があるときに、ちゃんとお金をかけて楽しみ尽くせるようにはからっている。

 

出勤しても会社の顔ぶれは一緒で、先輩上司たちと交わす言葉は毎日違えど何をしているんだろうという気持ちになってくることもある。

 

楽しそうなことを考えても、なにか予定があったとしても、どこかで「家にいたい」とずっと考えている。自分の世界を作り上げている。

 

明日から久しぶりに同期みんなの集まる研修がある。同期にはたくさんのパワーをもらえるので、今からうきうきわくわくしている。

 

久しぶりにブログを書いたら見事にとりとめのない文章になりました。まあ、こういうことも、あるよね。

 

もうすぐ親友が帰ってきます。

 

今日:外出する気力がない

明日:うきうきわくわく

地元の川でひなたぼっこ

実家に帰るたび、あの子は元気かなあ、アイツと飲もうって言ったなあ、と思い返しながら家族とゆるゆる過ごす。

 

私は大学で実家を出たことをきっかけに、地元と家族への感謝・愛が強まった。月並みな言葉だけれど、毎日仕事と家事、私たち姉妹の世話をしていた母はすごい。父はいつまで経ってもタバコを辞められないけれど、盃を交わすようになってから語る父は、仕事に対して真摯な人なのだと思わされた。

 

地元に帰るたび、たまにはあの子たちと遊びたいものだなと思いつつ、家族での食事やお買い物をつい取ってしまう。単純に出不精ということ、久しぶりに会う人に連絡を取ることは緊張するから、だ。

 

社会人1年目のGW、当たり前のように実家へ帰省することを選んだ。一人暮らしの家は居心地が良くて、周りの施設に不満はないし、そりゃ水道水はバカみたいにまずいままだけれど、それでも住んでいていいところだなと思う。

 

人のことを魅力的だと思うポイントって多くは「ギャップ」だと思っていて、ギャップ萌えなんてことはなかなかにバカにできない。

 

冷徹そうな銀縁眼鏡のお医者さんが不意に見せる笑顔に女は恋に落ちるし、大人しそうな女の子が頬を赤らめながら大きな声を出して頑張る姿に男は全てを投げ出すようになる。

 

きっと家族と一度離れたことによって愛が増したのも、ギャップのしわざ。当たり前だと思っていたことをいざ自分がやってみたとき、いかにも簡単そうにしていたことがどれだけ面倒なことか理解した時にギャップを感じる。ギャップを知ることでより相手との距離が埋まったように感じる。近くなり、愛が深まる。

 

人はけっこう単純だから、ギャップにはまりやすい。さあ、どんなギャップをこさえようか。

 

今日:川沿いを散歩しています

昨日読んだ本:短劇/坂木司

職業:会社員

4月1日からぱったりとブログを書かなくなるあるある。ぬるりと学生から社会人になったわたしです。

 

正直毎日早起きをすることと休みの前日に飲み会をすることに必死で、生産活動をする余裕がまったくななった。最近やっと、ゆっくりYouTubeを見ながら食事をして寝落ちするっていうループも抜けつつある。

 

会社は思いのほか楽しくて、それはまだ実務に入っていないということ、同期と楽しく研修を受けているからというだけで、このぬるま湯を引きずったままだと確実に湯冷めするという感触がある。

 

社会人になって、住む場所が変わって、出てくる水道水の源流が変わって、めちゃくちゃ水がまずくなって、ペットボトルのお水とお茶を買うようになった。次の日に備えて、スーパーでコーヒーを買いだめしておくようになった。100パック入りの紅茶から、リプトンの三角ティーバッグを選ぶようになった。

 

実際のわたしは何も変わっていなくて、言ってしまえば生活もそこまで変わっていなくて、けれど求められるものや考えておくべきこと、いろんな点で少し「めんどう」がつきまとってくる。

 

とはいえわたしは社会人になった自分を楽しんでいて、大学時代に極力履かなかったヒールを殆ど毎日履いて、オフィスカジュアルが許されているけれど毎日ジャケットを着て出勤している。

 

通学ではなく通勤。帰宅ではなく退社。学生証ではなく社員証。いろんなものが、すこしずつ「大人なわたし」を形成して満たしていく。

 

人間的に変わることはないと思うけど、こうして大人は大人になっていくのだなと思う。わたしは未だに、こどもとおとなのハーフ。

 

会社帰りにマクドナルドへ行こうと盛り上がる同期に恵まれています。

 

今日:長崎へ行っています

明日:温泉へ行きます

この世は絶望に満ちている

去年の今頃、机に向かい合っていると突然泣いてしまうことがあった。家族の温かい言葉が胸に刺さり、何も返事できずに携帯を置くことがあった。

 

あれから1年、その間に無事就職が決まり、毎日のように遊び、沖縄に魅了され、幼馴染との再会、2回目の海外旅行、恋人との別れ、同期と仲良くなれた研修、さまざまなことがあった。

 

明日からいよいよ、社会人になる。学割は効かないし、未確定のスケジュール、大人の勝手な都合に振り回されながら生活するようになる。

 

就職が嫌なわけじゃない。アルバイトとして会社には通っていたから上司は顔が知れているし、優しいパートさんもいる。同期だってとても仲が良くて、春はこういう出会いをもたらしてくれるから良いなと思う。

 

それでもやっぱり私はお腹が痛むし、ストッキングが伝線しないか不安だし、スーツはいまいち似合っていないからずっとパジャマを着ていたいと思う。

 

1年前に絶望しながら掴み取った希望に、私は今絶望している。絶望の連鎖はやがて人を麻痺させ、こんなもんかと思わせる。

 

学生じゃなくなることがこんなに怖いとは思わなかった。だから私は、強い強い社会人になりたい。

 

なんとかなる。大丈夫。だってこれまで、死なずに元気に生きてきたんだもの。

 

この1ヶ月で、私の浮き沈みがどうなるか。できるだけ書き留められたらいいなと思っています。

 

聴いた曲:おいしい季節/椎名林檎

思うこと:明日からは「通勤」なんですよ

卒業を控えた22歳の思うこと

今日会社でバイトをしながら、ふとパソコンの画面を見たときに「3/18」という日付が目に飛び込んできた。

 

あと2週間で、4/1になってしまうのだ。

 

この4年間、自宅マンションから大学までのわずかな1キロ程度の間、1分歩くごとに思い出がぼろぼろとこぼれ落ちてくるくらい、楽しいこと、くだらないこと、愛おしいこと、思い出したくないこと、恥ずかしいこと、悲しいこと、色んなことを経験した。

 

好きだった人の住んでいた家、当時は仲の良かった友人と遊んだ場所、時間さえあれば居座った部室、座り心地が良くなることはなかった大学の教室、目が悪く友達が少ないのでいつもひとり座った前の方の席、どれを思い出しても目を背けたくなるようなきらめきがある。

 

これから先はいくら飲みすぎたり夜更かしをしすぎても次の日サボることはできないだろうし、理不尽に怒られたり難しいこともたくさんあるんだと思う。

 

逃げ出したい、まだまだ甘えていたい、ゆとりと言われて何が悪い、私は鼻を折られるのがイヤなんだ。

 

そんなことを思いながら、現実に向けて、会社のお金で引越しをして、会社のお金で家を借り、会社からのお金で暮らすようになる。

 

社内恋愛をするかもしれないし、これから先まったく違う場所で出会いがあるかもしれない。今までに出会っていた人と縁があるかもしれないし、一生友人と遊びながら猫でも飼って暮らすかもしれない。

 

22歳は1日に例えると人生における朝7時過ぎくらいで、要するにまだまだ始まったばかり。まだ寝るか、でもやっぱり起きなきゃ。と欲望に打ち勝とうとする時間。

 

22歳って、そういう歳なんだろうな、きっと。

 

今日:両親と焼肉をたらふく食べました

今日聴いた曲:Lost Stars

明るい声で挨拶したい

今日は朝から嬉しいことと嬉しくないことが入れ替わり立ちかわりしていて、どういう気分なのか形容するにし難い、そういう1日だ。

 

以前わたしの花粉症を気の毒に思い、飴ちゃんをくれたおばちゃんがいた。今朝はわたしの顔を見るなり「今日花粉ひどくない!?」と赤い目をして訴えかけてきた。わたしも今日は朝から何度も息が止まりかけていたので、「ひどすぎます。出勤の時に限ってこうです」と笑い合った。これは嬉しい出来事。

 

席について仕事が始まった。初めて隣り合わせたおばちゃんが、すきあらば悪口や文句を言う人だった。わたしに対して言っているわけでも、語りかけている訳でもないので聞かなければいいのだけれど、耳に入るから何となく精神を消耗してしまう。これは嬉しくない出来事。

 

休憩室で派遣さんとすれ違った。わたしは時々髪を外ハネにするのだが、そうしていると必ず「今日はハネとうね〜かわいいっ」と褒めてくれる人で、会えば少しでも必ず言葉を交わす関係だ。

 

少し会わない期間があれば「久しぶりやねっ」と言う彼女は、きちんとわたしに対して話しかけてくれているというのがわかるのですごく好きだ。

 

ちなみに今日は「大学生やったんやね!?すごいしっかりしとうね…」と言われた。そうやって会うたびわたしにしっかりと向き合ってくれて、おそらく彼女が評価したいと思ったことを率直に伝えてくれるので、わたしはそのことの方がよっぽどの才能だと思う。もちろんこれは、とっても嬉しい出来事。

 

いくら体裁が整っていて感じの良い声を出していても、いつかきっと相手にはドスの効いた声が届いてしまうと思う。普段から丁寧な人付き合いを心がけていれば、自ずと信頼は培われると思うし普段怠けていた人をいつしか突き放すパワーを持ち得ると思う。

 

わたしは完全な人間ではないし、時には悪いこともするし腹が立ったらわざと冷たくしてしまうことだってある。離れているときは感謝をしてみるけれど、帰省して3日も経てば母のお喋りを聞き流すようになる。バイトをしすぎて扶養の範囲を超え父に12万円の税金を払わせたが、一時期バイトが干されていたこともあり仕送りまでさせている。

 

人間、やさしくありたいと思う。一つの言葉遣い、声色、何の気なしに発したものが人の心を萎えさせるかもしれない。逆に捉えれば、少しの努力で人を安心させることもできると思う。

 

できる限り感じの良い人間であるためにまずは明るい挨拶をしたいのだが、どうしても人見知りと勇気のなさでショボショボと挨拶をしてしまうわたしであった。

 

※父に払わせた税金は旅行をプレゼントするなどして、出世払いするつもりです。…つもり。

 

今聴いている音楽:お別れの歌/never  young beach

報告:心境と状況の変化があり、好転しました

男とか女とかどちらでもないとか

すごく面倒くさい話だと思う。性別はレインボーでさまざまだし、性的志向や自認の性、語り出したらきりがないと思う。特に下調べもせずに話しているので間違っていることもあるかもしれない。

 

間違っていると話題が話題なだけ騒ぎ立てるひとがいる。弁明しても押し問答がつづく。何も解決しない議論。考えただけでうんざりするでしょ。センセーショナルな話題は避けていたい。とくにこういう<公共>と区別される電波では。

 

今日、サラダ取り消し禁止委員会という文字を見た。なるほどたしかに、サラダを取り分けるというのはもはや正解の見つからない行為になっていることである。

 

女の子が取り分けて当たり前!の時代が去ったのは明らかだが、だからといって誰が取り分ければいいのか正解が見つからぬまま放置された現代人がいる。サラダを取り分けるという行為に、みんな意味を持たせすぎて肩こりしているような、そんな感覚。

 

サラダなんて後から出てくるコースメニューのボリュームにやられて二度と帰ってくることなんてないんだから、最初のスポットライトが当たる瞬間くらいせめてきれいに等分することだけ考えられていてほしいよな。

 

男らしさ、女らしさの強要がセクハラになると認知されてきた世の中で、つい料理が上手かったり髪を結うのが得意な女性に「女子力たかいね…」といってしまったり、整理整頓された部屋にアロマを焚いている男の人にもまた「女子力たかいね…」と言ってしまうのは罪なのだろうか。

 

うわべだけで人を見ずに、きちんとした言葉でその人を評価したいと思う。あまりよく聞き取れなかったのにみんなに合わせて笑ってしまうのをやめたい。相手があまりにドヤ顔をしていたら、知っていたことも知らなかったふりをしてしまうことをやめたい。少し古い情報を物知り顔で語る人に、新しい情報を知りながら口を閉ざしてしまうことをやめたい。

 

空気はどこまで読めれば1級取得できるのかしら。

 

今日:花粉がもんっのすごい

思うこと:糸井重里さんに影響うけすぎ