気分は最高 めっちゃ調子良い

どうもどうも。卒論が終わってから調子がいいわたしです。やはり、読みたい本が目の前に沢山あるというのに「それより卒論をすべきだろう」などとがまんするのは良くなかったようだ。

 

今日は「鳩の撃退法」という文庫本を探しに行ったのだが、気付いたら原田マハの文庫新刊を買っていた。因みに今原田マハ作品は読みかけ・未読・未読の3拍子で自宅待機を行なっている。わたし、しっかり!

 

巷で話題の「君たちはどう生きるか」も購入こそしたもののデスクでオブジェと化している。どうやらこれから入社まで、読書で忙しくなりそうだ。

 

書店にてPOPYEの新刊を見つけた。部屋とシティボーイ、なんて魅力的なタイトルなんだろう。絶対にほこりを積もらせてしまう大ぶりな葉っぱを茂らせた観葉植物と住まうオトコノコ達の特集がされている。なんて、罪深い。

 

わたしが新しいおうちに引越しをしたら、アイスクリームの電灯を置きたいと思う。アイスクリーム屋さんによくある、あのアイスクリームの電灯だ。たぶん置くには狭いおうちなのだけれど、狭そうに居座るソフトクリームも悪くないと思う。

 

昨日や今日はとっても冷え込んだし、街を歩けばだらしない声で「水道管の凍結に備えましょう」と市からのお知らせが流れている。春になれば会社へ歩いて通うかもしれないな、でも今は自宅から会社まで直通であってほしい、などと願う夏女なのであった。

 

最近ほうじ茶ラテにどハマりしているのだけど、よく考えれば昔から紅茶オレが大好きだったので、納得ちゃ納得です。暖かくて甘い飲み物は、よく冷える日の味方です。

 

今日:買いたいものを買えました

ウケたこと:マフラーを買ったお店でマフラーを落としました

ぜんぶ雪のせいだ

今日はハチャメチャに寒かった。どれくらいかというと、歩きスマホができないくらい。あまり良くない例を出しましたね。雪のせいで自動車学校の運転が中止になったので、これくらい許してやってください。

 

運転が無くなり、暇やなあと思いながら軽く卒業論文の見直しをして、寒いなあ暇やなあと思いながら印刷をし、いや引くほど寒いやんと思いながら学校へ行った。私の卒論、あっけなく終わった。

 

今日は映画を観に行くと意気込んでいたのだが、寒さのあまり開始時刻を見間違え、次の上映はレイトショーだったため諦めた。帰り道にはセンター試験の下見をする高校生が沢山いた。できるだけ茶髪とピアスをなびかせ、私は大学生だぞと見せつけてやった。こういうところで私は無駄に張り合うところがある。

 

卒論が完成したお祝いといえばお寿司だろうと思ったのだが、近所ではなかなかウマいお寿司が手に入らない。

 

近所のスーパーのお刺身はずっとなんだか微妙だなあと思っていたのだが、先日駅にある系列店に行った際、購入したお刺身を食べて驚いた。近所のもので気になる匂いだとかが無くて美味しい。

 

こんなことってあるのかと思い、あれから近所のスーパーでお寿司やお刺身を買えていない。事実今日は、チーズチキンカレーにしてやろうと材料を買い込んだ。美味しいお寿司を食べるには、いろんな関門が必要なようだ。

 

卒論の目処がついた昨日から、ずっと海外文学を読んでいる。話は面白いのに、私は海外文学を読むととってもよく眠ってしまうらしい。事実、村上春樹訳の「フラニーとズーイ」は読みきらないうちに雨に濡らしてしまい、歳を取ったかのようにしわしわになりしまい込んである。

 

日本語と外国語では言語として認識している部分が明らかに違うから、たとえ訳がされていても自分には人ごとのように感じられるのかなあなどと思う。まあ、おそらく私の集中力が乏しいだけだろう。

 

卒業論文は終わった。自動車学校で早く免許を取ろうと焦ることもやめた。寒い日は無理して外を出ないことにした。ゆっくりと、湯船に浸かることにした。食事は、自分の手で出来るだけ作ることにした。

 

良い暮らしは、良いゆとりから、って感じですね。今日も1日、おつかれさまでした。

 

よく思うこと:休みの日ほど寝坊する

嬉しい悩み:生八ツ橋が食べきれない

同窓会について私の思うこと

2018年が始まって早10日が過ぎた。詰め込み過ぎたアルバイトと自動車学校、卒業論文に首を絞められている私である。

 

今日は自動車学校の送迎バスに乗り遅れて、いつ頃までに仮免を受けようだとか、そういった予定が全て崩れてしまった。凹んだので唐揚げ弁当の宅配を頼んだが、白ごはんに髪の毛が入っていた。洗濯物を取り込もうとしたら、全てカチコチに凍っていた。そんな私である。

 

先日、小学校の同窓会があった。私は地元の小学校へ通い、中学からは地元を出たため、地元の中学へ通った同級生とはなかなか会う機会がなかった。事実、10年振りに会う同級生も居たのである。

 

同窓会の前、リハビリも兼ねて仲良しグループで一足先にお茶をした。もう、それだけで十分な会だったと思えるほど楽しかったのだが、いざ同窓会の時間が近づくととても緊張した。10年という月日の罪は大きく、かつては一緒に広島菜を漬けた仲間たち相手に、人見知りをさせるのである。

 

私には作戦があった。お酒を飲んでしまえばいい。ビール、ビール、またビール。飽きるまでビール、ときどきシャンディガフ。そんなこんなで気付けば朝の4時まで飲んでいた。それはちょっと違うだろうと思いつつ、電車も無いのでみんなで歩いて帰った。愛すべき、私たちの地元である。

 

小学校というのはカオスなもので、これは偏見かもしれないが小学生という生き物はだいたい1年に1回くらいのペースで好きな人が変わる。そして「元気」「足が速い」「体育が得意」ならばすぐに好きになりがちだし、意外とすぐに両思いになりがちのため、同級生が集まると複数の元カレ・元カノの会になってしまう。

 

私の同窓会はそこまででは無かったものの、飲みながら話している内に「そういえば私お前のこと1回くらい好きやった気がするわ…」なんて発言をするくらいには、軽率な小学生時代を過ごして居た。

 

きっと来年や再来年の同窓会では、誰かが結婚したり、子供ができたりしているんだろうな。なあみんな、幸せになろうな。そんなことを思いながら、1月にしては歩きやすい温度の地元を、ゆっくりと歩いて帰った。

 

今日:時間厳守の大切さを改めて知った

明日:映画を2本も観てやろうと思います

箸が休むって何なんだ

今日の夕食は、商店街にあるお肉屋さんで買って来たらしいハンバーグだった。さすがお肉屋さんなだけあって、とてもジューシーで、ご飯が足りなくなってしまった。

 

献立はシンプルで、その中に焼きネギのマリネがあった。食べながら無意識に「これはいい箸休めだなあ」と思ったのだが、そこからずっと、あることが気になってしまった。

 

えっ、箸って休んどるか?

 

たしかに、ハンバーグはとてもよくお箸が動く。ナイフとフォークじゃないんかいというツッコミはいらない。焼肉屋さんを経営するお肉屋さんから買うハンバーグは、お箸と決まっている。例え付け合わせにコーンがあっても、だ。

 

それにしても箸休めというのはよく意味が分からない。抑えられない食欲に任せるまま動くお箸を制御するものじゃないのか。箸休めが美味しかったら、全く休まらないじゃないか。まして箸休めはメインと味の傾向が変わってさっぱりすることが多いから、口の中が新鮮でよく進んでしまうことが多い。これは本末転倒だ。

 

念のため検索してみると、やはり口の中をさっぱりさせ、またお箸を清める意味が、箸休めにはあるようだ。なるほど、お寿司の合間に甘酢しょうがを食べるように、箸休めは存在するのだなと思った。

 

もしかしたら、箸休めというのは便宜上の言葉なのかもしれない。日本人がよくやる、<現実に沿うとそうは言わないけど何となくそれっぽくで表してみようシリーズ>かもしれない。ちなみにこのシリーズNo.1は「刺身」である。

 

さきほど「箸休め」について検索してみたと言った。1番上に出てきた記事を見てみると、最後の方は箸置きの広告記事だった。なんだか、損した気分になってしまった。やはり広告は、見られないし、見たくないし、消えて欲しい存在なんだなあ、と再認識した。

 

皆さんのそんな気持ちを代弁するべく登場したのが広告ブロッカーというアプリでして、私もモニターとして使用したんですが、それはもう初日からまったくストレスが無いん…………(続)

 

今日:姉が帰ってしまいました

明日:同窓会があります ドキドキです

明るい未来の話

未来の話が必ず明るいとは限らない。どう考えても暗くなってしまう時期はあるし、始まっていないからこそ不安なこともある。

 

クリスマスの輝きが時に独り身の目を潰してしまうように、新年のきらめきが未来への絶望を思わせる時だってあると思う。

 

漠然とした不安って、周りがなにかを言って紛れる割合はきっと多くて2割ぐらいで、結局は自分の手を動かさないといけないのだと思う。

 

料理の良いところは、気を使わないといけない作業が多い分気がまぎれるし、しかも料理という自らの欲求を満たすための行為であることから、手っ取り早く幸せになれることだ。

 

そういえば、実家に帰ると必ず肥えてしまう。実家はお茶をする頻度が尋常でなく、冗談抜きで3食毎に紅茶を淹れては何かをつまもうとする習慣があるため、常にお腹がいっぱいになってしまう。

 

なんというのだろう、実家と自宅が別々で良かったと思う。帰省という名目があるからバイトも気兼ねなくずっと休むことができるし、たまに集まるからこそ飽きもせずずっと家族と過ごせるのだと思う。やっぱり甘やかされるのは気持ちがいい。

 

昨日はふと、広島で1番好きな本屋さんに行きたくなり、お買い物帰りの父にそこまで運転で連れて行ってもらった。なんてことない本屋さんなのだけど、天井が高くて、棚の端っこ、通路に一人がけの椅子が置いてある。併設しているカフェは眺めが良くて、今はもう無いはずのドーナツがとっても美味しい本屋さんだ。

 

装丁がいまいちの村上春樹と、私の友人がとても好きで、見かけるたび立ち読みしていた坂木司を初めて購入してみた。新年のお供に早速仲間が加わった。

 

積ん読している本、なかなか観られていない映画、開拓できていない音楽、過去を振り返ればけして明るくは無いのだけど、生きているんだから何となく明るくバトンタッチしたいなと、新年に丸投げしてみるわけです。どんどん、趣味を増やそうと思う1年です。新年、あけましておめでとうございます。どうぞ、今年も可愛がってください。

 

今日聴いた音楽:明るい未来/never young beach

私、ギュンギュンします

年末だというのに天気が良い1日だった。とはいえ夏女の私、冬には常に「寒いんじゃけど」「もうちょい晴れてくれんかね」といった文句があるのだけど、今日はちょっと仲良くできそうな気がするくらい、過ごしやすい日だった。

 

年末といえば大掃除。自宅の掃除は概ね済ませて帰省してきたので、実家でも少しやってしまおうかと、引っ越し以来殆ど開かずの間になっていたクローゼットに手をつけた。

 

私は以前から紙袋や袋などといったものをついつい集めてしまうクセがあったのだが、その根源ここに極まれりと言わんばかりの、母が集めた跡があった。最近断捨離傾向にある私がどんどん捨てていこうとすると少し怒りを買ってしまったため、これも同じく段ボールのまましまい込んであった沢山の本たちを、沢山のレコードと一緒に並べることで機嫌を取ってみた。

 

私はいくらお金がない時でも、この本を読みたい、と思ったら絶対に迷いなく買ってしまうし、お陰でどんどん本は増えていく始末なのだが、まさに母もそういうタイプなのだと思った。

 

筒井康隆、森瑤子、村上龍司馬遼太郎、とくにこの辺りがもう、下手な本屋さんよりずらーーっと並んでしまう。正直、びっくりした。ここまで行くか…すごいな…と。

 

私が社会人になって、お金をちゃんと貯められるようになったら、大きくて安定している本棚を設置してあげたいと思った。母は本を繰り返し繰り返し何度も読むタイプで、気分で手に取りたい本が沢山あるだろうから。

 

本との出会いもあれば、別れもあるもので、今日は中学か高校の時に買い揃えた少女漫画を一気読みした。それらはすでにフリマアプリで落札されたからだ。梱包が完了次第、私のものではなくなってしまう。

 

とっても、良いですね。私は女子校だったもので、男女共学という文化がよく意味が分からないです。思春期に男子と一緒に生活したら、私、きっと、こじらせてしまうわ。

 

恋愛っていいな。季節のにおいが分かるっていいな。いつ読んでも、そう思わせてくれる作品が明日、旅立ちます。

 

今日:姉が帰ってきました

今日読んだ本:ストロボ・エッジ

ね、おねがい

今日が卒論の提出日だと思って、私、頑張る。2時間前、お風呂を上がったばかりの私は母にそう宣言した。母は早いうちに寝室に引き上げ、私のみがリビングに残された。ホットカーペットがありがたい、年末である。

 

いつのまにか、引っ越しに備えて家を探していた。間取りを見るのも、写真を見るのも、そりゃあもう楽しい。あっという間に時間は溶けて、ああでもない、こうでもない、こうするといい、こうするもんだ、そんなこんなで、あ、日付超えた。

 

父は今日夕方からいそいそと飲み会に出かけていて、姉は明朝帰省してくる。それは即ち、平穏な夜は今日が最後ということだ。今日のうちにやってしまいたい。いや、今日っていうか、正確には昨日だけども、いやもう、寝るまでが今日やん、そんな細かいこと言わんといてや、ね、もうええわこの話。

 

私は自分に関する計画を立てることがとても好きで、それは例えば初任給をどう使ってどう貯金をしようかだとか、自動車学校にこう通えば1月中に免許が取られるんじゃないか…といった、目論見に近い計画である。

 

意外と堅実なところがあって、お金を貯めたらこうしよう…だとか、考えながらまじめに生きようとしている。姉はよく、あんたが1番お金かかってない娘じゃと言う。なんだかんだでおねだりをした生涯金額は大きい気がするのだが、進路という点ではたしかにそうかもしれない。

 

先日3姉妹でスカイツリーのブッフェに行った。ローストビーフを目玉商品として謳うわりに、なかなか出来上がらずやきもきしながらも、他愛もない話をひたすらにし続けた。とても楽しかったんよと父に話すと、父も嬉しそうで。母は3姉妹食事会開催が決定した時から嬉しそうだった。

 

相変わらず長女は地元が嫌いなようで、こればかりはどうしようもないのかもなあなんて諦めている。でも私は、もっと姉たちと遊びたいから近くに住んでほしいなあなんて思う。福岡いいよ、福岡。

 

先日祖母に会いに行った時、就職が決まったよ、少し近いね。社会人になっても、遊びに来るけんね。なんて言っていたら、真顔で「じゃあしーちゃんはこっちの人と一緒になるんじゃろうねえ」と言われた。そ、そうなんかな!?そういう、もん!?

 

結婚だなんて、現状の自分から延長した先には見えないのだけど、3.4年もしたら、もしかしたら、しちゃうのかもしれない。結婚をして、すこし広いお部屋に住むようになったら、本を置くスペースをたくさん確保したいんだけれど、どうだろう。大きいテレビは映画を観るためで、広い壁はポストカードを貼らせてほしい。せめて、20代のうちは。ね、おねがい。

 

なんでもそうで、一度やめちゃうと億劫になっちゃいますよね。そして久し振りにしようとすると、やっぱりすこしなまっているものです。また明日も、明後日も、そして2018年も、徒然なるままに文章を書こうと思うのです。

 

今日:ホットカーペットの上でお昼寝しました

昨日:お布団の中で本を読もうとしたら寝ていました