男とか女とかどちらでもないとか

すごく面倒くさい話だと思う。性別はレインボーでさまざまだし、性的志向や自認の性、語り出したらきりがないと思う。特に下調べもせずに話しているので間違っていることもあるかもしれない。

 

間違っていると話題が話題なだけ騒ぎ立てるひとがいる。弁明しても押し問答がつづく。何も解決しない議論。考えただけでうんざりするでしょ。センセーショナルな話題は避けていたい。とくにこういう<公共>と区別される電波では。

 

今日、サラダ取り消し禁止委員会という文字を見た。なるほどたしかに、サラダを取り分けるというのはもはや正解の見つからない行為になっていることである。

 

女の子が取り分けて当たり前!の時代が去ったのは明らかだが、だからといって誰が取り分ければいいのか正解が見つからぬまま放置された現代人がいる。サラダを取り分けるという行為に、みんな意味を持たせすぎて肩こりしているような、そんな感覚。

 

サラダなんて後から出てくるコースメニューのボリュームにやられて二度と帰ってくることなんてないんだから、最初のスポットライトが当たる瞬間くらいせめてきれいに等分することだけ考えられていてほしいよな。

 

男らしさ、女らしさの強要がセクハラになると認知されてきた世の中で、つい料理が上手かったり髪を結うのが得意な女性に「女子力たかいね…」といってしまったり、整理整頓された部屋にアロマを焚いている男の人にもまた「女子力たかいね…」と言ってしまうのは罪なのだろうか。

 

うわべだけで人を見ずに、きちんとした言葉でその人を評価したいと思う。あまりよく聞き取れなかったのにみんなに合わせて笑ってしまうのをやめたい。相手があまりにドヤ顔をしていたら、知っていたことも知らなかったふりをしてしまうことをやめたい。少し古い情報を物知り顔で語る人に、新しい情報を知りながら口を閉ざしてしまうことをやめたい。

 

空気はどこまで読めれば1級取得できるのかしら。

 

今日:花粉がもんっのすごい

思うこと:糸井重里さんに影響うけすぎ