24時間中どれくらい私のこと考えてる?

最近ひたすらに感じているのだけど、私は結構メンヘラなところがあると思う。この発言には自虐的な意味は無くて、基本的にメンヘラはメンヘラである自分が好きゆえにメンヘラたるところもあるため、自意識の発散なのだなと認識してもらえればそれで良い。

 

よく同世代の友人と、「じぶんたちが中高生の時にスマホが無くてよかったよね」という話をする。実際に存在はしていたが、あくまでも普及していたかどうか、という話だ。

 

ところがよく思い返してみれば、私たちの時代にはガラケーというものがあって、今考えれば途方も無い読み込み時間がかかるウェブサイトを毎日張り付いて見ていた。mixiやHP文化が、私たちの青春を荒く包み込んできたのだ。

 

例えばHPは仲のいい子と開設するのが定番であって、それはいわば縄張り意識の目に見える形であった。誰とHPをしているか、誰のリンクを貼り付けているか、コメントの多さ、閲覧数の多さ、プリクラが載せてあるであろう鍵付きリンク、意味深なことを追記に乗せるリアルタイム型記事など。思い出すだけでウンザリしてきた。

 

現在のSNSは、<盛り>を手にした若者が見た目を武器に勝負している傾向にあると思う。万年細目で平たい顔族の私であっても、目がまんまる、顎がシュッとしてキツネの耳がつくアプリは変革をもらたしたのだ。

 

私が今中学生だったとしたら、やはりTik Tokに動画を載せたり、ツイッターで#おしゃれさんと繋がりたい #暇人絡んで #Kぽペン集まれ とタグで喋っていたと思う。#の存在しない世界に連れて行ってやろうか。

 

かつてはラインの既読がつく瞬間を、ほかのラインを消化しながら今か今かと待ってみたり、返事がなければ追い討ちのように連投したりと気持ち悪いことをしてきた私だが、やっと最近大人になれたように思う。

 

ところで、物分かりの良さと都合の良さって紙一重ですよね。

 

今日:車校が休みになってしまいました

嬉しかったこと:春財布を新調しました