ボンヤリした将来
最近、目が悪くなって来た。ずっと裸眼で通して来た両目が、限界だと力尽きんばかりにぼやけた世界を映し出してくる。
大学に入ってからすぐ、裸眼で授業を受けていた私は意地でも板書を見るために前の方の席に座っていた。私は大学1.2年の頃は授業中にツイッターすら見なかったし、割と根が真面目なのである。
しかしいつからか、写りの薄いスクリーンが見えづらくなり、黒板の文字がぼやけ、目を凝らすようになった。そしてある日友人と駅ビルのメガネ屋さんで、初めて度入りの眼鏡を買ったのだ。
とはいえ普段からかけることはなくて、それはもっぱら授業中のみ使われた。就活中はまじめに見えるかなと思って朝からかけてみたりしたが、気持ち悪くなるのでバスの中で外していた。眼鏡不適合である。
目と歯は取り返しがつかないから、大事にしなさいと言われてきた。そう言う父も母も眼鏡をかけたりコンタクトを付けたりしている。母は眠る前にギリギリまで本を近づけて本を読むし、父はiPhoneでなにかを見せると眼鏡をずらしながら睨みつける。これはただの老眼か。
今日、レンタルしてきた『帝一の國』を見るためにリビングの中でわざわざ眼鏡をかけた。いつの日か、ソファからテレビの文字すらもぼんやりしてしまうようになったのだ。テレビの横にある本棚の背は尚更、「ノルウェイの森」くらいしか見えてくるものはない。
私もいつか、常時眼鏡をかけるようになるのだろうか。コンタクトを毎朝入れるようになるのだろうか。いい歳になったら、視力矯正手術が進歩しているのだろうか。
いつまでも竹内涼真くんの笑顔をこの胸に刻み込むため、目はきちんと大切にしよう。あれ、こう言う話をしたかったんじゃないんだけどな。
今日:カップ麺を突散らかして散々でした
でも:そのお陰で洗濯を片付けました