共に眠る本について

私には「枕元本」がある。読んで字の如く、枕元に置いてある本である。私のベッドの横には小さな本棚があって、そこに20冊程度の本を常に置いてあるのだ。

 

枕元本の条件は至ってシンプル、<眠る前に読んでも心が荒れないもの>だ。誰だって眠る前にトワイライトを読んだら続きが気になってしまい血を見てゴクリと喉を鳴らすヴァンパイアの如く殺気立つだろうし、まして枕元に『白痴』を置く女子大生の運気は最悪だと思う。

 

そんなこんなで、優しくて、とても気に入っていて、心を暖かくしてくれる本は、私の枕元へと集うシステムになっている。枕元本を牽引するリーダーは、「今日の猫村さん」である。

 

今日は朝ぽっかりと時間が空いたため、古本屋さんに行きいいものはないかと物色をした。村上春樹訳の海外文学を見つけ、いつも海外文学は途中でやめてしまう私もこれならば読めるかもしれない、と期待しながら購入した。加えて、ずっと読もうと思いながら機会の無かった星新一も2冊ほど購入した。

 

満足げに3冊を手にして駅へ向かう時、ふと探している本があるのとを思い出した。古本屋さんには無かったから、書店へ行かねばと早足で向かい、目を凝らしながら新書の棚を探した。購入したのは、「はじめての構造主義」。これがなかなかに面白いのである。いや本当に。

 

最近ゼミの教授が知識人であることに少なからずへこんでいたのだが、先生が仰っていたことがぼんやりと繋がる感覚があった。とても嬉しい。でも多分、枕元本には入らないと思う。

 

夜眠る前にベッドの中で少し課題をしてから、はじめての構造主義を読み、寝てしまおうと思っていました。あ、でもブログ書かにゃ!と思っていたら、枕元本のくだりでスヤスヤと寝てしまいました。8時間もよく寝たので、案外はじめての構造主義は癒しの効果があるのかもしれません。なわけない。

 

今日:おばあちゃんちで猫をもふもふもふもふしました

思うこと:生まれた土地はなぜか心が落ち着きますね