ゼミの教授に絶望した話

平日もいいところの月曜日、ゼミのOBとゼミ教授、同期と飲み会をしてきた。ゼミのメンバーはとてもシャイなので飲み会は久しぶりだった。

 

私の教授はとても最高な人なので、ガラス張りでお酒がたくさん並ぶお洒落なイタリアンに連れて行っても、となりの声が筒抜けの居酒屋に連れて行っても、どこでもよく通る声で文学談義をする。

 

それは周りの人間からすると少しギョッとしてしまうくらい堅苦しくて、身内は話していて楽しいのだが<空気は読めていない>とよく思う。大学教授というのはある程度そういうものだという認識はあるため、特に期待はしていないのだが。

 

ふだんは「道に迷っていたおばあさんを助けていたんですよ〜」なんてニヤニヤ言いながら平気で遅刻をするような人で、また別の時には「うちの犬の可愛いお尻を見てください」とポメラニアンのプリプリのお尻写真を送りつけてくるような、お茶目な一面もある。

 

だが、月曜日に改めて、この人はとても頭が良いのだと思った。知識量が違う、その知識を自分で噛み砕き伝えられる経験が違う、着眼点が違う、何から何まで、やはりこの人は教授になるべくしてなったのだと思った。

 

「見えている世界が違う」という言葉がある。様々なシチュエーションで使われるが、私はこれを今自分と教授の間に強く感じている。

 

私が自分の知識・経験によって語りうる世界は、ある一定の角度のみから見られるものでありとても一面的であると思う。一方教授は様々な知識・経験を持ち、私と同じものを見てもどう切り取るか・どこから見るかなどのカードが多い。またある現象を一つの思想として捉えることができたり、言葉として表現することができる。

 

あまりうまい例えではないけれど、私は虹が7色にしか見えないのに対し教授には30色に見えて、かつそれにどんな意義があるのかを説明できるようなイメージなのだ。この例えの中では、虹の色がより多い方が学があるとすると。

 

ふだんは「二日酔いの日はレモンティーだわ〜」くらいしか言わないブログだというのになぜこんなしょうもない話をタラタラとしているのかというと、それくらい、自分の無学にショックを受けたのである。無知の知を何回も突きつけられる。

 

せめてゼミのOBに次ぐ、ゼミ生の中での勉強家になりたいと思いながら、私は買ったばかりのバッグに哲学用語辞典を詰めて出かけたのであった。

 

にしても、二日酔いにはやっぱレモンティーだわ〜。

 

今日:両親ととてもおいしいお寿司を頂きました

明日:たぶん美味しいお好み焼きを食べます