悪気のない食事

最近、自炊の意義について考えていて、それはまあ考えるだけ不毛なのだが、考えていた。

 

世の中には24時間ピカピカと光り続けるコンビニエンスストアというものがあって、その名の通りたいそう便利なものを取り揃えている。3分で熱々のたこ焼きを食べられる。ほかほかのつくね串は常に待機しているし、なぜかクセになるカップヌードルはいつだって仲間とともにドヤ顔だ。

 

私はこういう計算が苦手なのだが、例えば1回の自炊にかかる料金はどれくらいなのだろうか。だいたいあの具材をどれくらい使って…電気代が…かかった時間は…うーんめんどくさい。

 

多分それは計算してしまったら、コンビニ生活が始まってしまうような気もする。ご飯が全部、スーパーで買ってきたお寿司になるかもしれない。

 

それでも私は自炊をする。そりゃ、たまにはお寿司も買うけれど。なぜかって、自分で作ったご飯はまったく悪気が無いではないか。

 

コンビニ飯や外食は、手軽な料理に罪悪感をトッピングして食べている。もちろん、これは私見であるが、外食続きであることにちょっとした引っ掛かりを覚える人は少なくないだろう。

 

それに対して自分で作ったご飯、それは全くの悪意もなく、ただ、食べられるためだけにほかほかと、どっしりと、待ち構えている。

 

こんなに優しい世界はあるだろうか。手軽な天国だ。因みに自炊のマイブームは、大根たっぷりの豚汁である。

 

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