許せないカレーライスがある

今日の晩ごはん、少し白ご飯が残った。お行儀が悪いのは承知の上、これまた少し残っていたお味噌汁に入れて猫まんまにしようと思いついた。と、同時にある記憶が蘇った。

 

小学校の給食、というのは毎日毎日連続する作業である。次第に、この方が効率が良い、などといった仕組みを学び、我々は給食を食べ大きくなってゆく。

 

大げさではあるが、<ごはんにかけて食べるものの暗黙の了解>が私の小学校にあった。

 

給食というのは、例えばカレーが献立のとき、カレーとご飯は別々によそわれる。ビーフストロガノフや、ハヤシライスでもそうだ。配膳の都合上、そうなっている。

 

問題はここからで、どちらがどちらにかかるか。どちらがどちらにかけられるのか。という問題である。

 

通常、カレーライスというのは、ほかほかで汚れを知らぬ純真たる白米が、まだ見ぬカレールーをドキドキしながら待っている構図が浮かぶ。カレールーの姿に最初は戸惑う白米も、すぐに笑顔を浮かべ、福神漬けとともに一緒になる瞬間を待ち構えているのだ。

 

「ご飯をカレーの器に入れた方がさ〜、ご飯の器までカレーがつかんでええよね〜」

 

誰だ。純真たる白米を拉致するがごとくカレールーの沼に突っ込む者は誰だ。お前か、いつもカレーをめちゃくちゃおかわりするクラスメイト。

 

いや、冷静に、ごはんが静かにルーの上に浮かんでいるのは見栄えが悪い。その見栄えの悪さをカバーしようとごはんを沈めると、自動的にめちゃくちゃ混ぜられる形になるのも気にくわない。

 

カレーライスは、カレールーが優しく白米の上に寝そべる形が理想なのだ。白米がのしかかる講座など、私が許さない。

 

目ざとい読者の為に言っておくが、猫まんまは混ぜて食べてしまうものだから、ご飯をお味噌汁の器に入れるので都合がいい。そりゃ、場合によって私も立場を変えるに決まっている。

 

自分で自分を、こういうところだよな、と思う。

 

今日はどんな日:めちゃくちゃ眠くて雨風の強い日

何をした:家族みんなでアイスを食べた