姉が家を出て行った

姉は唐突に、数週間前に実家を出て行くと宣言した。妹である私が聞かされた時にはもう、嬉しそうに荷物を整理していた。

 

姉は広島が嫌いだった。

 

姉がいなくなって2週間、母が片付けた部屋に1人で座り込んでみた。風を通すため窓を開けると、裏のおばあちゃんの声が聞こえてくる。今晩楽しみにしているテレビ番組があるだとか、誰も傷つけることがないだろうと思われる笑い声が響いていた。

 

もし傷つくとしたらそれはただ1人、姉だと、ふと悟ったように部屋の隅っこで感じた。

 

私の実家は町内で引越しをしている。歩いていける距離で、住んだことのある家は3軒ある。どの家にも思い入れはあるが、今住んでいる家は最初の2軒より少し遠くにある。使うスーパーも、広島駅までのバス運賃も、ダイソーだって変わってしまった。

 

今日、どうしても欲しい型番の電池があり元々利用していたダイソーを訪れることにした。それは即ち、小学校時代の通学路をなぞって通ることだ。

 

必死こいて登っていた石段、いつの日か左官屋さんが丁寧に塗り固めていたコンクリートの道、閉まってしまった小児科、愛想の良すぎるおじさんのいたガソリンスタンド。

 

店主が体調を悪くして閉じてしまった酒屋、何が入ってもあまり評判にならない飲食店のテナント、平和だった小学校時代に突如出現した大人の本屋さん。そして、全く変わらないスーパーと、その2階に入っているダイソーにたどり着いた。

 

スーパーの中は、本当に何も変わっていなくて、店員さんも何故か見たことのあるような気がして、じっと見つめてしまった。角にお惣菜コーナーがあって、その先にお寿司コーナーがありいつもここで頑なに母の苦笑いと戦っていた。

 

「前を知っているひと」になりたくないと思う。『昔はこうだったんだよ』と言われた時に、「えー、もう今はこれですからね、想像もつかないですね…(笑)」と言っていたい。前を知っていることはあまりに寂しい。ただ思い出しているだけなのに、過去にしがみついているような気がしてしまう。

 

一方で、いつまでも街や人が変わらなければウンザリするのも確かだろう。姉からすれば、私が切なくなるほど変化の有無に取り乱している部分も、生活の一部でありそれは退屈であったのだ。

 

姉は遠い場所で、美味しそうなご飯を毎日作りながら懸命に生きているようだ。私は給料日前につき、長々と実家に帰ってくることでお金を浮かせている。明日には真ん中の姉も帰ってくる。

 

家族5人でまた一緒に暮らすことはないだろうけど、今離れているからこそ旅行などを大切にしたいと思う。きっとその時は、姉もちょびっと広島が好きになっているんじゃないかと、期待している。

 

幸せだったこと:むさしの若鶏むすびが美味しすぎた

今日の出来事:母に晩ごはんを作った