続・今日のお弁当

先日書いたように、今週は賑やかな毎日である。バイト・ゼミ・バイト・バイト・バイト、延々と続くバイト地獄である。

 

9時間出勤するアルバイトでは、お昼休憩にご飯を食べるためお弁当を作るようになった。最初の頃はおにぎり2つを温めてのりたまふりかけをかけるだけだったのだが、今では「入れたいおかずが入りきらん…」という有様だ。

 

無理をしない女なので、節約のためにお弁当を持って行った方がいいことは了承しているが、作るのに苦労したりおかず代にお金がかかっては意味がないと考え、とても小さなお弁当箱を100円ショップで購入した。

 

そのお弁当箱はやたら小さくて、おかずを3つでも入れようものならパンパンだ。おかげでなんとか、外食をすることはなくなった。

 

お正月、家族と買い物に行ったスーパーにて。スヌーピー柄の3段入れ子式お弁当箱を見つけた。姉とあれがいいこれがいいと言いながら、結局これがいちばんいいな、と思ったとびきりのお気に入りである。

 

もちろんそれは今までの100円ショップ弁当箱より大きくて、1番小さいものと真ん中の箱を使っても最初はスカスカで、とても余っていた。困ったなあ、今度からは1番大きい箱で1段にしようかなあ。でもそれじゃ、入れ子式に惚れ込んだのに意味がないように思ってしまう。

 

結局バイトの帰り道によるスーパーでは、半額になるお刺身を横目に見つつ、ウインナーやちくわ、卵やきのこ、そして大切な緑色のいんげんなどをよく買うようになった。麻婆春雨やチャプチェはいっぺんに作ればお弁当に小分けできる。濃い味がとてもお弁当向きだ。

 

今日のお弁当箱は白ごはんにいかなごくぎ煮、きのこのオムレツ、麻婆春雨、いんげんの胡麻和え、ちくわの青のりソース炒め、マカロニサラダだった。そうそう、ついにマカロニサラダを食べきった。

 

自分で作ったお弁当に驚きはなくても、待ち遠しい気持ちはなかなか心地よいものだ。家族がいれば、毎日違うおかずを作れるのになあ、なんて思いながらまだ見ぬ家族を想うのであった。

 

今日:とても眠いです

教訓:朝ごはんにおうどんを食べたい時は準備している間に少し冷ますべし

明日のお弁当

年末はひどかった肩こりも、年末年始に実家でまどろむことにより無くなったように見えた。アルバイトがまた始まり、ついに今日、またひどい肩こりをするようになった。

 

姿勢のせいかな、最近なんだかんだで夜更かしをしているものな、などと考えながらデスクで肩を回したり押したりするものの、一度痛み出すと止まらないのが私の肩こりである。

 

私の家は水道代が定額で、毎日湯船を張ってもさほどな金額にはならないため、よく浸かっているものだ。肩こりなど一発で治るように、すこし熱めに溜めるのがポイントである。

 

大人しくゆでだこになっていればいいものの、これで湯船の中にて携帯をいじってしまうから良くないのだと思う。それでも「肩が痛いなあ」なんて思いながらソファで携帯をつつくより、暖かいお湯に包まれて携帯を触っていたいと思うのだ。

 

毎日のようにアルバイトをして、ときどき忘れた頃にゼミに行って、すこしの野次を飛ばしてから、またアルバイトに行く。会社の主任に久し振りに会えたから、今日はとても良い日だ。

 

明日は9時間バイトをした後に、1時間あけて更に3時間ちょっとバイトをしに行く。3時間ちょっとなんて取るに足らないように思えるが、それでも毎月なんやかんやで使ってしまうクレジットカードの支払いには有り難い軍資金になるのだ。

 

節約のため、また朝よく眠るために翌日のお弁当を作っている。明日はなんとちらし寿司。今晩の残りではあるが、ちらし寿司のお代わりがないことを世界の終わりのように嘆いた子供時代を送った私にとっては、楽園の食事である。

 

おかずにはマカロニサラダ、麻婆春雨(これは昨日作ったぶんを残しておいた)、切り込みを入れてこんがり焼き上げたウインナー詰めておいた。一人暮らしのお弁当にしては、なかなか上出来。いい加減マカロニサラダを食べ切りたいし、まだ食べて大丈夫なのかは分からないけれど、きっと私のエネルギーとなってくれるだろうと信じている。

 

江國香織さんの文章に並々ならぬ親近感を覚える今日この頃であった。

 

抱負:来週のゼミには遅れず参加する

更に:しっかり議論できるよう読み込む

気持ちの浮き沈みを語る

気持ちが浮いたり沈んだりする。何気ない他人の一言で、行動で、傷付いたり嬉しくなったり、それはもう単純に変化する。

 

気持ちの浮き沈みは基本的に無駄なことだと思っていて、だからこそできるだけしたくないと思う。それでも、浮き沈みを意識してしまっている以上私は浮き沈みから逃れられないのである。

 

とても気分が晴れ晴れしていて、すらすらと、あれもこれもと文章が書ける時がある。他人の何気ないことで何となくで勝手に傷付いてしまい、なんだかずっとモヤモヤすることだってある。

 

心がモヤモヤしている時考えるべきことは、大抵、明日になればどうでもいいということ。起きるときには、その日の寒さの方が重大ニュースだ。

 

その内寝たり起きたりを繰り返せば、きっと暑くてたまらない夏がやってくる。夏はよく冷えたコーラか、商店街のフレッシュジュースを飲めばご機嫌になるので、とても生きやすい季節だ。

 

今日はなんということだろう、あまり晴れた気分ではないのだが、いかんせん冬である。盛り上げてくれるには温度が上がりきっていない。何とかしようと鰹のタタキを買ってみたが、今日は調子が上がらない。仕方ないので、帰宅したら好物の麻婆春雨もこしらえることとする。

 

もしかしたらこのモヤモヤの正体は、今読んでいる小説から乗り移ったものかもしれない。丁度主人公たちが苦労している場面で、今日のお昼休憩は終えてしまっていた。

 

うんうん、きっとそうだ。よし、帰って好物を食べて、熱いシャワーを浴びて、お気に入りのマグカップで紅茶を飲みながら小説の続きを読もう。そうすればきっと、また呑気な話をつらつらとできるようになるだろう。

 

鰹のタタキ、麻婆春雨、どうもありがとう。

 

今読んでいる本:楽園のカンヴァス/原田マハ

よく思うこと:つくづく30代以上のおじさんが好き

日報

めちゃくちゃ調子いいと言う割には、最近3時間に1度は必ずお腹が痛い。何がいけないのかも、何が正しいのかも分からない、迷い人のような腹である。

 

今日は自動車学校以外に予定が無くて、ならば本を読んでやろうと決め込んでいた。なんせ私は読むのが早い方ではなく、意識して読まねば本など一生読み終わることがないからである。

 

ところで皆さんは、ファミリーマートの燻製うずらの卵を知っているだろうか。あれはもう、めちゃくちゃにウマい。うずらだからこその白身と黄身のバランス、程よい味付けとスモーク感、ビールが永遠に飲めるし、私がインフルエンザにかかったらあれを差し入れしてほしい。

 

インフルエンザといえば、2日ほど前帰宅してから嫌な体の不快感に襲われた。こう、腕がだるくて内側の筋肉が震えているような感覚だ。これはきっとインフルエンザの予兆だぞ…そんな時に目に入った5kgのお米、お、お前かい。重いものを持った後に筋肉が疲れたと叫んでいただけだった。

 

外国で言語を学びたいと言う気持ちが出ていて、なぜかと言うと私は郷に入ってめちゃんこ郷に従うタイプだからだ。新たな環境に放り込まれた時、たいていは自分好みのおじさんを見つけて素敵だなあと目の保養にする。同世代には人見知りするけれど、年の離れたおじさんのギャグには声を立てずにニヤニヤしているのが常なのだ。言語を学びたい話とズレすぎている。

 

私の家には浄水器がついていて、今まで何をするにも浄水しか使ったことが無かったのだけれど、どうやらお皿などは原水で洗った方がいいらしい。浄水器によって取り除かれる塩素は、殺菌効果があるからこそ皿洗いには向いているのだと言う。

 

ぬるま湯でないと洗い物ができないたちなので、今まで散々浄水モードでお湯を出すために待たされていたが、原水だとすぐにお湯が出てくると知ったのも最近だ。これで私の皿洗いモチベーションはとても高まった。

 

今日みたいな穏やかな日は、また暫く来ないと分かっている。だがそれは、賑やかな毎日の始まりをも意味している。

 

人間どうせ死ぬのは分かっているけれど、生きている内はなんだか色んなことをやってみたくなるものだね。

 

発見:ケチャップににんにくとバジルソルトを混ぜると素敵なピザソースになるのだ

結果:今日のブランチはピーマンを載せたピザトースト2枚だった

気分は最高 めっちゃ調子良い

どうもどうも。卒論が終わってから調子がいいわたしです。やはり、読みたい本が目の前に沢山あるというのに「それより卒論をすべきだろう」などとがまんするのは良くなかったようだ。

 

今日は「鳩の撃退法」という文庫本を探しに行ったのだが、気付いたら原田マハの文庫新刊を買っていた。因みに今原田マハ作品は読みかけ・未読・未読の3拍子で自宅待機を行なっている。わたし、しっかり!

 

巷で話題の「君たちはどう生きるか」も購入こそしたもののデスクでオブジェと化している。どうやらこれから入社まで、読書で忙しくなりそうだ。

 

書店にてPOPYEの新刊を見つけた。部屋とシティボーイ、なんて魅力的なタイトルなんだろう。絶対にほこりを積もらせてしまう大ぶりな葉っぱを茂らせた観葉植物と住まうオトコノコ達の特集がされている。なんて、罪深い。

 

わたしが新しいおうちに引越しをしたら、アイスクリームの電灯を置きたいと思う。アイスクリーム屋さんによくある、あのアイスクリームの電灯だ。たぶん置くには狭いおうちなのだけれど、狭そうに居座るソフトクリームも悪くないと思う。

 

昨日や今日はとっても冷え込んだし、街を歩けばだらしない声で「水道管の凍結に備えましょう」と市からのお知らせが流れている。春になれば会社へ歩いて通うかもしれないな、でも今は自宅から会社まで直通であってほしい、などと願う夏女なのであった。

 

最近ほうじ茶ラテにどハマりしているのだけど、よく考えれば昔から紅茶オレが大好きだったので、納得ちゃ納得です。暖かくて甘い飲み物は、よく冷える日の味方です。

 

今日:買いたいものを買えました

ウケたこと:マフラーを買ったお店でマフラーを落としました

ぜんぶ雪のせいだ

今日はハチャメチャに寒かった。どれくらいかというと、歩きスマホができないくらい。あまり良くない例を出しましたね。雪のせいで自動車学校の運転が中止になったので、これくらい許してやってください。

 

運転が無くなり、暇やなあと思いながら軽く卒業論文の見直しをして、寒いなあ暇やなあと思いながら印刷をし、いや引くほど寒いやんと思いながら学校へ行った。私の卒論、あっけなく終わった。

 

今日は映画を観に行くと意気込んでいたのだが、寒さのあまり開始時刻を見間違え、次の上映はレイトショーだったため諦めた。帰り道にはセンター試験の下見をする高校生が沢山いた。できるだけ茶髪とピアスをなびかせ、私は大学生だぞと見せつけてやった。こういうところで私は無駄に張り合うところがある。

 

卒論が完成したお祝いといえばお寿司だろうと思ったのだが、近所ではなかなかウマいお寿司が手に入らない。

 

近所のスーパーのお刺身はずっとなんだか微妙だなあと思っていたのだが、先日駅にある系列店に行った際、購入したお刺身を食べて驚いた。近所のもので気になる匂いだとかが無くて美味しい。

 

こんなことってあるのかと思い、あれから近所のスーパーでお寿司やお刺身を買えていない。事実今日は、チーズチキンカレーにしてやろうと材料を買い込んだ。美味しいお寿司を食べるには、いろんな関門が必要なようだ。

 

卒論の目処がついた昨日から、ずっと海外文学を読んでいる。話は面白いのに、私は海外文学を読むととってもよく眠ってしまうらしい。事実、村上春樹訳の「フラニーとズーイ」は読みきらないうちに雨に濡らしてしまい、歳を取ったかのようにしわしわになりしまい込んである。

 

日本語と外国語では言語として認識している部分が明らかに違うから、たとえ訳がされていても自分には人ごとのように感じられるのかなあなどと思う。まあ、おそらく私の集中力が乏しいだけだろう。

 

卒業論文は終わった。自動車学校で早く免許を取ろうと焦ることもやめた。寒い日は無理して外を出ないことにした。ゆっくりと、湯船に浸かることにした。食事は、自分の手で出来るだけ作ることにした。

 

良い暮らしは、良いゆとりから、って感じですね。今日も1日、おつかれさまでした。

 

よく思うこと:休みの日ほど寝坊する

嬉しい悩み:生八ツ橋が食べきれない

同窓会について私の思うこと

2018年が始まって早10日が過ぎた。詰め込み過ぎたアルバイトと自動車学校、卒業論文に首を絞められている私である。

 

今日は自動車学校の送迎バスに乗り遅れて、いつ頃までに仮免を受けようだとか、そういった予定が全て崩れてしまった。凹んだので唐揚げ弁当の宅配を頼んだが、白ごはんに髪の毛が入っていた。洗濯物を取り込もうとしたら、全てカチコチに凍っていた。そんな私である。

 

先日、小学校の同窓会があった。私は地元の小学校へ通い、中学からは地元を出たため、地元の中学へ通った同級生とはなかなか会う機会がなかった。事実、10年振りに会う同級生も居たのである。

 

同窓会の前、リハビリも兼ねて仲良しグループで一足先にお茶をした。もう、それだけで十分な会だったと思えるほど楽しかったのだが、いざ同窓会の時間が近づくととても緊張した。10年という月日の罪は大きく、かつては一緒に広島菜を漬けた仲間たち相手に、人見知りをさせるのである。

 

私には作戦があった。お酒を飲んでしまえばいい。ビール、ビール、またビール。飽きるまでビール、ときどきシャンディガフ。そんなこんなで気付けば朝の4時まで飲んでいた。それはちょっと違うだろうと思いつつ、電車も無いのでみんなで歩いて帰った。愛すべき、私たちの地元である。

 

小学校というのはカオスなもので、これは偏見かもしれないが小学生という生き物はだいたい1年に1回くらいのペースで好きな人が変わる。そして「元気」「足が速い」「体育が得意」ならばすぐに好きになりがちだし、意外とすぐに両思いになりがちのため、同級生が集まると複数の元カレ・元カノの会になってしまう。

 

私の同窓会はそこまででは無かったものの、飲みながら話している内に「そういえば私お前のこと1回くらい好きやった気がするわ…」なんて発言をするくらいには、軽率な小学生時代を過ごして居た。

 

きっと来年や再来年の同窓会では、誰かが結婚したり、子供ができたりしているんだろうな。なあみんな、幸せになろうな。そんなことを思いながら、1月にしては歩きやすい温度の地元を、ゆっくりと歩いて帰った。

 

今日:時間厳守の大切さを改めて知った

明日:映画を2本も観てやろうと思います