たんこぶが取れたかもしれない

最近めちゃくちゃ詰んでいた、その原因とも言えるたんこぶがやっと取れた。つい、昨日のお昼である。

 

そのたんこぶと言うのは宣伝会議賞なるものの存在で、最大級の広告企画コンペのようなものである。審査員には著名なクリエイターが名を連ね、協賛企業は50近く。実際に近い形で広告の依頼がお題として出され、素人から現クリエイター、社会人などさまざまな人が応募する。

 

本来ならば、コピーライティングを学ぶ身としてこういう機会はとても有り難く、楽しいものであると思うのだが、今回はそうはならなかった。

 

というのも、私は今年の6月から毎週コピーライター養成講座に通い、5ヶ月ほど勉強してきた身なのである。

 

何を偉そうに、と思われるかもしれないが、5ヶ月も勉強すると、さすがに「バカを書かない」のである。さすがに、下手なことができないという緊張から、かといって上手いこと言えるわけない、と葛藤し、悩み、進まない、典型的なスランプにはまっていた。

 

先日、師匠先生に講座有志で課外授業をして頂く機会があった。その時出した課題を、私は先生にボロクソ言われた。「こんなんじゃダメだよ。」「こんなコピー書いちゃいけない。全く心が動かない。本当に動くと思ったのか?」。

 

とても厳しく言われたもので、恥ずかしく思った。だが、やっと私は解放されたような気持ちにもなれた。

 

きっと私は、5ヶ月講座にまじめに通って勉強しただけで、自分はちょっとコピーがうまくなったのだと勘違いしていたのだ。まあ、最近あまり奮わないけど、卒論とかあるし…。てか、遊ぶのにも忙しいし…。そんなこんなで、日頃の自主学習に身が入っていなかったのが明らかに形になって現れた。

 

私は昔からこういうところがあって、要領よくこなしているようで、実は何も得ていないようなことが多い。本当に、上っ面が得意というか、上っ面で誤魔化して逃げる人間だと思う。

 

私はこの人生で、死ぬ気で頑張ったことはあるのだろうかと最近よく思う。小学校の時は勉強をしなくてもクラスで1.2番を取れていたから中学受験もなんとなくで志望校に行けた。大学受験は、塾に行く程真剣になれずなあなあで勉強し続けて、なんとか受かった現在の大学にいる。就職は、志望していた広告業界が難しいからと、内定をくれたメーカーにひょいっと鞍替えしてしまった。

 

自分に甘い、という言葉だけで片付けるには軽すぎる問題が私には山積しているし、社会人になる前の今、それがずっとコンプレックスとして居続けるのではないかと不安だ。不安だ不安だと言いつつ、1本もコピーを書かず、1文字も卒論を書かず寝てしまう日もある。

 

私は私の将来を悲観している。きっとこれが、どこかで災いする時が必ず来ると思う。たぶん、ふと「そういえばあれは頑張ってたじゃん」と思えるものが出てくる気もする。私が少し、やるならここまでやらないと、というハードルを自分で上げすぎているのかもしれない。それでもやっぱり、悲観している。俯瞰して悲観している。ほら、すぐふざける。

 

今できることをちゃんと、真摯に向き合おう。そう思いながら、このブログを閉じたら読書もせず爆睡するのだろうなと思っている、私でした。

 

私は私のことが大好きなので、病んでいるのではと心配はしないでね。しないか!

 

今日:彼との記念日

昨日:彼とお寿司を食べまくりました

キスしてほしい

生きていると様々なことがあるもので、例えば今朝の私は、服が無さすぎてファッションを決めるのに時間がかかり、3本もバスを逃してしまった。この後の予定がうまくいくかは分からないけれど、どうしようもない。

 

去年から、定期的に断捨離を行なっている。主に洋服を捨てていて、着るときに「ここほつれてるから見えてほしくないな」とか、「これ太って見えるんだよな、なんで買っちゃったんだろう」とかもやっとしてしまうものを全て捨てた。

 

それから、私は脚がめちゃくちゃ冷えるのでスキニーデニムの下にもタイツを履くような女なのだが、今年寒くなってからふと、毛玉のついたタイツが許せなくなった。

 

今までは、毛玉取り機で取れるならば見逃していたのだが、それをしているうちに穴を開けてしまうこともあって、タイツに関して短気になってしまった私は潔く捨てまくったのだった。その結果、あまり使わないピンクとオレンジと緑のタイツしか残らなかった。これはマジでピンチ。

 

服で悩むというのは、何だか恋する乙女を連想させるのはここ最近のことだろうか?それはもちろん、「試着室で思い出したら、本当の恋だと思う。」というコピーが効いている証拠なのだと思うが、このコピーにはいささか悩まされることがある。

 

なぜかというと、試着室で思い出す人全て、意識してしまっているような気分になるから。それは例えば、以前着ていた服を「そういうの似合うね」と言ってくれた友人、いつもオシャレな格好で、悔しくなるほどハイセンスだから、あの人に追いつきたいと思うような友人、挙げてしまえばキリがない。

 

好きな人以外にも褒められるような服を着たいと思うけれど、好きな人にだけ好かれればいいだなんて女は面倒なことを言う。実際は全人類から愛されたい(©︎世紀末)くせに。

 

今日の私は、沢山の予定を抱えて、終わらぬタスクを抱えて、ピンクのタイツを履いて、街に出ている。ブルーハーツを聴きながら。

 

ひとこと:毎年思うのだけど、この時期に着るものって何が正解なんですかね

最近思うことを徒然なるままに

最近、義務ではないが今後の自分のためにした方がいいだろうこと、が積み重なっている。積み重なった結果、なんだか少しずつ歩みが遅くなり、手はひたすら本に伸び、パソコンに伸びては服をひたすら通販で買う。

 

自分のためにする、というのはいかにも聞こえがいいのだが、手をつけるまでの時間が長引けば長引くほどとても憂鬱になってくる。いつのまにか、自分なりのベストタイミング、お風呂もあがり、空腹も満たされていて、かといって眠くない、紅茶とお茶菓子が用意されているような時でないとヤダ!という自分の中の芸術家が騒ぎ立てるようになる。とても厄介だ。

 

たとえばこのブログは、湯船によく浸かる私にとっては良い時間つぶしで、のぼせそうになる寸前で書き上げるのがとてもたのしい。お風呂を上がったら次やるべきことにすぐバトンタッチできるのも良い。

 

もう、今日から違う私になろう。どんなに準備が整っていなくてもいい。とにかく手をつけてみよう。いつのまにか没頭しててもいい。明日もお昼から用事がある。色々気を使わないといけないことがあるけれど、終わったらきっと楽しかったと思えるだろう。

 

なんとなくお気づきではあるだろうけども、ここのところ少し現実逃避をしすぎました。「自分のしたいことをやり続ける」というのは、簡単なようでやはり難しいことなのだと痛感します。そんな毎日ではありますが、せめてこの場所ではありのままを紡ぎ出せますように。

 

今日読んだ本:総理の夫/原田マハ

少し思うこと:YouTubeというコンテンツに冷めた気がします

かりかりのトースト

りっかりに焼いたトーストを食べたい。ジャムを塗るもよし、ぜいたくにバターを塗り込んでかぶりつくもよし、オリーブオイルににんにくとクレイジーソルトを混ぜ込んだものを載せて焼いてもよし、焼きたてを待ちきれずプレーンで食べるもよし。とにかく私は、トーストを食べたいのだ。

 

私は普段食パンを買う習慣が無くて、それは主に<朝ごはん>の時間にちゃんと起きられないというのが大きいのだが、他にも<賞味期限が意外と短い>ということもある。一人暮らしで5枚切りを買うと、ふつう食べきるのに5日かかると思うのだが賞味期限は2.3日ということが多く、買う前からげんなりしてしまうのだ。

 

大抵、トーストを食べるときは紅茶を淹れる。とはいえ普段から私はコーヒーより紅茶派なのだが、トーストの時は絶対なのである。トーストの軽やかさに、コーヒーはいささか重たい。冷感パッドの布団に、羽毛ぶとんをかけるようなものだと思う。冷感パッドの布団には、お腹だけ覆うことのできるブランケット、すなわちトーストで言うところの紅茶で十分なのだ。

 

ラピュタパンというものがある。食パンのふちをマヨネーズで囲み、卵を落とす。焼けば軽く火が通った卵と、焼けたマヨネーズがとてもジューシーで美味しい。作る前に、一旦電子レンジで軽く卵に火を通そうか、でも黄身が爆発するかもしれない、割ってしまうと台無しだし、などと考えながら結局トースターに突っ込むだけである。そして大抵うまくいく。

 

そういえば母は、食事におけるバランスが少しずれているところのある人だった。いや、今でもあるのだが、朝食が食パンの時に平気でお味噌汁を出すような、しかも紅茶も淹れてくれて、水分で通学中お手洗いに行きたくてたまらなくなってしまうようなことをさせるのだ。

 

私はそういう点父にとても似ていて、食パンには軽いサラダ、コンソメ系のスープ、紅茶と朝食を揃えているところを見るととても納得する。と同時に、なぜここまで父と母がうまくやってこれたのか、少し疑問にも思ってしまう。

 

それは例えば、食パンとお味噌汁が同じ朝食の中で仲良くタッグを組むような、そんなことなのかもしれない。

 

今読んでいる本:総理の夫/原田マハ

今日:辞めたアルバイト先の前を俯いて通った

悪気のない食事

最近、自炊の意義について考えていて、それはまあ考えるだけ不毛なのだが、考えていた。

 

世の中には24時間ピカピカと光り続けるコンビニエンスストアというものがあって、その名の通りたいそう便利なものを取り揃えている。3分で熱々のたこ焼きを食べられる。ほかほかのつくね串は常に待機しているし、なぜかクセになるカップヌードルはいつだって仲間とともにドヤ顔だ。

 

私はこういう計算が苦手なのだが、例えば1回の自炊にかかる料金はどれくらいなのだろうか。だいたいあの具材をどれくらい使って…電気代が…かかった時間は…うーんめんどくさい。

 

多分それは計算してしまったら、コンビニ生活が始まってしまうような気もする。ご飯が全部、スーパーで買ってきたお寿司になるかもしれない。

 

それでも私は自炊をする。そりゃ、たまにはお寿司も買うけれど。なぜかって、自分で作ったご飯はまったく悪気が無いではないか。

 

コンビニ飯や外食は、手軽な料理に罪悪感をトッピングして食べている。もちろん、これは私見であるが、外食続きであることにちょっとした引っ掛かりを覚える人は少なくないだろう。

 

それに対して自分で作ったご飯、それは全くの悪意もなく、ただ、食べられるためだけにほかほかと、どっしりと、待ち構えている。

 

こんなに優しい世界はあるだろうか。手軽な天国だ。因みに自炊のマイブームは、大根たっぷりの豚汁である。

 

今読んでいる本:しょうがの味は熱い

今から食べるもの:カップヌードルBIG

美味しい麦茶

わたしは普段、お茶を自宅で沸かしている。外でペットボトルのお茶を買うのはあまりに不経済であるし、なによりわたしはお茶をよく飲む。

 

大抵それはほうじ茶。烏龍茶よりさっぱりしすぎず、麦茶のようなクセがない。麦茶も飲めることは飲めるが、なんだか少し苦手なのだ。

 

それは中学の時、数学に手も足も出ないくらい苦手だったわたしが職員室に質問に行った時の事だった。担当の数学教師が不在で、ドア付近にいた小柄な女性教師に教えてもらえないかと頼んだ。人当たりがいい彼女は、よく教えてくれた。

 

彼女は一生懸命で、それが十分に伝わってくるのだが、理解を促す力はないタイプだった。そしてなにより、彼女が話すたび、麦茶の香りが私の鼻を襲ってきた。要するに口が臭かった。

 

他にも口が臭い教師はいて、それは例えばタバコを吸った後にコーヒーを嗜む、私の中では最悪の口臭を生み出す組み合わせなのだが、そんな状態で生徒にちょっかいを出す教師もいた。

 

口臭の思い出としてすごく印象が強い麦茶を、一人暮らしを始めてからは殆ど飲まなかった。ほうじ茶や烏龍茶、緑茶を飲んでいた。

 

最近、ほうじ茶を切らした。あちゃーと思いガサゴソ漁ると、留学に旅立った友人の置いて行った麦茶パックが発見された。

 

味自体は嫌いではないから、仕方なく最近は麦茶を飲んでいる。麦茶を飲んだ後、臭わないかな?などと思いつつ。

 

昔、家族全員で並んで眠っていたくらい小さかった時、咳が止まらない夜があった。眠気で朦朧とする意識を咳に揺さぶられ、ひどい気分だった。

 

そういう時はきまって母が私を抱き起こしてくれて、夜中にそっとあったかい麦茶をマグカップで飲ませてくれた。寝る前に水分を取ると決まって朝に失敗するような年頃だったから、特別に飲むことができている気分だった。

 

最近早起き習慣をつけようと8時に遠くに置いたアラームを止めるようにしている。どうにも眠いな…と思いながら洗顔し、麦茶を寝ぼけ眼で飲む時、ふと母の温もりを思い出すのであった。

 

読んだ本:本日は、お日柄もよく/原田マハ

アラームの曲:トライ・エブリシング/Dream Ami

言葉のどこが三角なんですか?

くるりの代表曲に、「言葉はさんかく こころは四角」がある。

 

全体的な歌詞はとても共感を呼ぶもので、友達が好きな男の子を打ち明けてきた途端、その男の子が魅力的に見えてしまうような、好きな人の好きなものが前より目に飛び込んできて、思わず伝えてしまいたくなるような、そんな感情を湧き起こす。

 

全体的に難しい部分はなくて、ネチネチ解説する方が野暮なくらいだ。

 

しかしタイトルは違う。タイトルはとても難しい。

 

「言葉はさんかく こころは四角」。

 

そもそもなぜ、対応する言葉同士で漢字・ひらがなを合わせないのか。言葉はさんかくなのか?こころは四角なのか?全くわからない。難しい。

 

例えば言葉は、時には人を傷つける凶器になる。傷を癒したかと思えば、えげつなく斬りつけてくることだってある。そんな時、尖ったさんかくが相応しい、と言えるかもしれない。

 

こころは、弱めたりする人ももちろん多いけれど、一定は強く作られているように思う。本当に無理、と思ったら受け入れず、がっちりとガードを固めるからだ。その点、揺らぎのない四角という図形は正しく当てはまるように思う。

 

だけれどこの読み方、言ってしまえば「王道」だと思う。なんのひねりもない。

 

どうにか、天才案は生まれないものか・・・人をウンと唸らせたい時に限って、運はどこかへ出張中のようです。

 

http://j-lyric.net/artist/a000786/l00ad6a.html

言葉はさんかく こころは四角 の歌詞です。

 

今日:ケーキ屋さんを辞めました

そして:お祝いに鯛めしを炊きました