初心者がポケモンソードを貰ったので始める話

私はポケモンを知らない。正確に言えば、ポケモンのことをよく知らない。

 

むかしアニメは恐らく見ていた気がするが、ムサシとコジローがニャースソーナンス…ぐらいで本当にストーリー展開やキャラクターたちの位置づけもまったくわからない。

 

ひょんなことから購入したニンテンドースイッチではずっとあつまれどうぶつの森に夢中で、会社の先輩に「それ2年後、3年後に何か残る?」とあつ森ハラスメントをくらわされた位毎日あつ森の話をしてしまう始末(先輩とは仲が良いのでここにおけるハラスメントは問題にはならない)。

 

そんな中、私は25歳になった。誕生日を迎えたのだ。

大変な時期を共に乗り越えた少しツンデレ気味の後輩が言った。「先輩に〜、誕プレありますよ。」

 

ヤッター!プレゼントはいくつになっても嬉しいものである。しかもこの後輩、センスが良く、かつて他の子に化粧品をプレゼントしているところを見たことがある。これは期待だと大人気なくウキウキしていた。

 

いざ出社して「プレゼント入れときますね」と言われたロッカーを開けてみる。ラッピングされた包み。手に持ってみると、あれ、これ、もしかして、アレか…?いやな予感と共に開封する。「ポケットモンスター ソード」ソフトの登場である。

 

これには参った。なにが「あつ森ばっかじゃなくてポケモンもしてください♡」だ、あまりにも面白いプレゼントすぎるだろう・・・。

 

こうして、ろくにポケモンのことがわからない私がポケモンを始める環境が整ったという訳だ。

 

人生、なにがあるか分からない。

 

きまぐれに、これから、ポケモンを進める様子をこのブログに残していこうと思う。

 

ポケモンマスターにおれはなる…!

AirPodsについて

暇なのでAmazon  prime Videoで映画を観ている。以前はB5サイズくらいのタブレットで観ていたが姉にあげてしまったので、iPhoneで鑑賞。なんとなく味気ないなと思いAirPodsを装着。お、いいぞ。

 

画面が小さくとも、音がしっかり入ってくると中々良い。というか、全て集中して観ることができた。やはり音響は大事なのだな。

 

AirPods proが気になって仕方なくて、仲の良い先輩に「どう思う?買い替えたくない?」と聞いてみると、「難しい問題すぎて考えないようにしてた…」と言われた。めっちゃくちゃわかる。

 

今のままでもいいのだけど、やっぱりノイズキャンセリングは強い。ねぇ、pro使ってる人ってどういう気分?ねぇ、やっぱり良い?ねぇ、AirPodsから買い替える価値あるかなぁ?ねぇ?

 

かつて中華イヤホンからAirPodsに乗り換えた過去を持つ私は、どうにもばつが悪いのであった。

大人が溶連菌にかかるということ

これはいつか読み返して笑い飛ばす事だけを目的とした記録である。

 

土曜日

社員の下期成果発表会。お昼にセブンイレブンの豚汁(リアル具材が入ってるほう。美味しい)とおにぎり2つを食べる。

豚汁はまずそのままの味を楽しみ、つぎに一味を入れてぴりっと。最後に柚子胡椒を一口ずつにちょびっとつけて味変。最後まで飽きず、飲み干す事が勿体ない。ごくり。

 

昼過ぎ、喉に違和感をおぼえる。いきなり喉に5ミリ四方の立入禁止区域ができた感じ。昼間に食べてどこかに隠れていた一味が、ひょんなことから出てきて喉に張り付いたのだろうと思う。水をたくさん飲む。

 

夜、先輩を交えて打ち上げ。喉の一味がずっと取れないのでいつもよりビールが進む。誤って多く届いたレモンサワーを飲み干すなど。特段疲れているつもりはないがぼーっとしていたらしく、先輩から疲れているのかと何度か聞かれる。終モノを当然のように逃し、最寄りが近い先輩とキャッキャおしゃべりしながら帰る。

 

日曜日

朝から喉が異常に腫れている。飲みすぎ、部屋が乾燥しすぎ、疲れているのかと思いつつシャワーを浴びる。全身がプールに入った後のように気怠く、筋肉がヒィヒィしている。

 

仕事をしている最中も倦怠感がすごく、業務に集中できない。寝不足とやや二日酔いもあり、今日はダメだと思いつつ何とか終業。仕事をしていてこんなに、1日中座っているのがつらいと思った事はない。同期と連れ立って定時ダッシュ。何かを察して簡単に調理できる食事や飲み物を買い込む。

 

夜、食前36.9度。食後37.8度。「おぉ〜」と感心しつつ、コロナかと焦る。倦怠感、熱、喉の腫れ。え、コロナ?やばいやばい。家族に連絡し、明日も熱があれば相談窓口に問い合わせしてみてはと言われる。

 

何かを察して(第二弾)ずっと溜まっていた家事をやっつける。倦怠感は解消することなく、不安なまま就寝。就寝前は36.6度。夜は4度起きる。

 

月曜日

9時から仕事の予定だが、自然と7時前に目が覚める。熱は無いが喉の腫れ方が今までに経験したことのない感触。風邪の時は、膝を擦り剥いた時と同じような痛みのイメージであるのに対して、この時は撫でるだけで痛いタンコブのような。

 

不安になりコロナ相談窓口に電話してみるも、熱が無いから大丈夫と思われる。ただ喉の腫れは急患センターにかかってみては?との事。実際唾を飲み込むのも一苦労で、そういえばこの頃は起きたらめちゃくちゃよだれ垂らしてたな(きたない)。

 

コールセンターで仕事をする以上喉の腫れは命取り。熱が出ていた事もあるため大事をとって仕事を休む。

 

急患センターにかかる。プロフェッショナル〜仕事の流儀〜に出てそうな仕事の早いおっちゃん医師。判断が早い。「溶連菌の検査しよ。違うかも知れんけどね。」よ、溶連菌。先月後輩がかかり、『ちびっ子がなるやつだぞ♡』とかからかった溶連菌。

 

喉を綿棒的なやつでこすられて(軽くオェッてなった)待つこと10分ほど。「溶連菌陽性!薬出すけど10日分飲まなきゃいけんから、明日また病院行って!」『し、仕事は行っていいんでしょうか』「症状によりけりだね!」『(それ答えになってないやないか〜 #ミルクボーイ)』

 

会社に報告し、抗生物質が効くまでに24時間かかるため火曜日も欠勤する事に。ちょうど水木金もともと3連休だった為、5連休に。

 

夜、抗生物質を飲むも喉は腫れたまま。もはや腫れている部分が常に喉からこみ上げてきて、常に熱いものを吐きそうになっている感覚だった。泣きそうになりながら就寝。朝までぐっすり。

 

火曜日。朝になると喉の腫れがかなりマシに。3割くらいまで腫れが減った感覚。心配してくれた先輩に病院へ行くことを伝えると、「小児科?笑」と馬鹿にされる。早いうちに病院へ行き、残りの薬を貰う。大学時代の家の近くにあったお米屋さん、当時5キロ800円だった激安米が1400円まで値上がりしており、もうそれ激安米やないやないか〜 #ミルクボーイ と思った。

 

免疫力が下がっていたことを反省し、野菜や果物ゼリーなどを買い込んで帰宅。

 

私の場合キツかったのは最初の2日で、抗生物質を飲んだ翌日には既に殆ど回復していた。ちょうど3連休がくっついたのが幸か不幸か、まあ良い休暇期間と思ってだらだらしている。本を読んだり、映画を観たり、紅茶のパック分けをしたり、ドキュメンタリーを観たり、塗り絵をしたり、掃除をしたり。

 

いつも休みが終わる時には、休みが足りないと常日頃思っていた。日頃頑張ってるから、ちょっと息抜きしなよと溶連菌が派遣されたんだな。なんとか喉が潰れることなく、また日常に戻れますように。

 

あと2日で積読は消化できるのでしょうか。ん、むりです。

ミーカの引き出す記憶について

私にとって就職活動というのはまだ心なしかこびりついているかさぶたのようなもので、触れると少しひやっとする部分である。

 

今の会社に入ったことでとても良い同期と先輩に出会うことが出来た。本当に、これからの人生でもずっと関係を持ちたいと思えるような人ばかりでつくづく恵まれていると思う。

 

もうすぐ2年目が終わろうとする今、やっと私は就職活動に後悔していないと言えるようになった。

 

私はもともと広告業界を目指していた。コピーライターになりたかった。ばりばりの広告マンになりたかった。なれなかった。

 

就職活動にて全落ちしたのが原因ではない。私の、私自身の読みがあまかった。適当すぎたんだな。

 

私の人生は、今まで結構「なんとかなって」きた。小学生の頃は勉強しなくてもクラスで1番を取ることも珍しく無かった。姉に憧れ(自分で言うのも憚られるが)名門女子校を中学受験し、補欠で合格した。その後あまり勉強はせず、大学受験では後期で何とか公立に滑り込む事ができた。3姉妹の末っ子という事もあり私立受験はNG、浪人もさせられない、なのに私は結構アホだったという背水の陣だったのだが、「なんとかなって」しまった。

 

だから当然、就職活動でも「なんとかな」ると思っていた。そして、夢破れた。そこまでの器用さは無かった。勉強と社会は違う。大きな挫折体験はこれが初めてだったかもしれない。

 

ここまで書くと悲劇のように思えるが、実際はそこまで暗い話でもない(そう言い聞かせたいだけかもしれないが)。

 

今私はコールセンターでオペレーターをしている。なぜこの仕事に就いたのか、自分でもあまりよく分からない。母が同じ職種で働いているが、特別憧れを抱いていたわけではない(尊敬はしている)。

 

だがしかし、採用されたというだけあって意外と適性はあったらしい。拾う神などと言ったりするが、神も拾う相手は見極めているのだろう。

 

正直言って、いまだに広告業界やその関連で働いている人を見ると少し苦しい。自分が簡単に諦めたその先の青い芝生で輝く人は、それはそれは眩しいものだ。

 

そこまで聞き分けの良くないわたしなので、もう少しこのコンプレックスとは付き合っていく必要がありそうだ。それでも良いか。私はいまとても楽しいし幸せだ。

 

この雑文は、就職活動の時によく聞いていたミーカの曲を聴いて呼び起こされた気持ちを書き留めたまでである。

MIKA on Spotify

帰りたい 帰れない

帰省から自宅へ戻るときに流れるカントリーロードはすごい。ふだんからいい曲だなとは思っていたけれど、なんてことだ。ここまで情趣あふれる曲とは思っていなかった。

 

ひとりぼっち おそれずに 生きようと 夢みてた

さみしさ 押し込めて 強い自分を守っている

 

進学、就職を折に一人暮らしを始めた若者。あれほどうざったく感じていた家族のしがらみから解放され、門限も無い、好きな時に好きなものを食べられる生活へ。一人で暮らすなんてなんて夢が詰まっているんだろう。

 

そんな若者もすぐに気がつく。一人は独りなのだと。一人でいる時には感じ得なくとも、節目に家族と再会し家族の一部へと戻ったあと、そこから分離してまた一人になることは、家族と共有していた部分を失う感覚に襲われおそろしく孤独なのだ。

 

それでも大丈夫、私はこれまでも一人で生きてきた。そんなさみしさ、今だけさと気を取り直し一人でも生きられていた強い自分へと戻ろうとする。

 

振り向けば実家へ続く道、バスに乗らなければ地元のまま、新幹線だって降りて仕舞えばいい。そんな中で実家から遠ざかり、バスに重い足を乗せ、仕事に間に合うように新幹線へ乗る。

 

カントリー・ロード この道 ずっとゆけば

あの街に 続いてる 気がする カントリー・ロード

 

いつまでも心を捕らえて離さない離れがたさを、少しずつ速まる歩調で振り払うのだ。

 

 

20181012 MONO NO AWARE 福岡

MONO NO AWAREというバンドがいる。

 

やたら顔の濃いボーカル、演奏中は目がイくギター、ボーカルのMCにクスリともしないポーカーフェイスのベース、演奏が力強すぎてメガネがずれがちなドラム。

 

わたしが彼らを知ったのは、学生時代アルバイトをしていたレンタルショップの先輩が「これいいよ」とCDを貸してくれたことがきっかけだった。

 

「人生、山おり谷おり」は明るいジャケットで、なんとなくきもちよさそうなポップを想像していた。聴いてみると案の定きもちよポップ。何度か流し聴きしているうちに、自ら何度もMONO NO AWAREを再生しているじぶんがいた。

 

時は流れ今年の8月1日。わたしの誕生日でもあったこの日、新しいアルバムが発表された。「AHA」である。

 

このアルバムを語るに欠かせない曲はなんと言っても「東京」。くるり大先輩だって、あのアーティストだって、散々歌ってきた東京を2018年になっても、平成最後になっても歌おうとするバンドがMONO NO AWAREである。

 

10月12日、今日私は彼らのライブに行ってきた。アルバムツアー、昨日のTetoゲスト出演に続いて福岡2日目。

 

相変わらずゆるゆるなMC、ぜったいに発声練習から入るライブ、『じゃあみんなで「OHO」って言いましょうか〜。…やっぱ「AHA」で!』そういうのって事前に決めとかないのか?最初のMCまで便所サンダル履いて演奏しちゃうくらいにはゆるくて、でもその流れに振り回されたいと思う。

 

GOLD SOUNDZ、Teto対バンとMONO NO AWAREのライブが3回目だったわたしはなんとなくのセトリもわかっていた。くるぞくるぞと期待して、マックスまで期待値が上がったところでバーーーーンと音が浸透してくるのが本当に気持ちいい。

 

そんな中でも、ボーカル玉置さんが地声で「そぉ〜れっ!」と言う合図で、いつもはソロ活動のように演奏しているメンバー4人がドラムを囲んで演奏を始める「東京」はやっぱり格別だ。

 

人間はうるさい生き物だから、黙っていると、静かにしていると、ぼーっとしていると、余計なことをたくさん考えてしまう。勝手に悲しくなったり、怒り出したりしてしまうこともある。そんな気持ちを、音楽は一瞬にして吹き飛ばして、お風呂上がりに扇風機に顔を近づけている時のような、ただ「気持ちいい」だけの気持ちにさせてくれるのだ。

 

いつもボーカルがひとりだけでお世辞にもスムーズとは言えない、ぽつぽつとぺらぺらと喋るMCをするのがお決まりなMONO NO AWAREだが、今回は彼が最初便所サンダルを履いているというハプニングによりサプライズがあった。

 

ぎ、ギター加藤さんが喋った…………!

 

「せいじゅんが話してくれます」という雑なパスの元、さも珍しくもなさそうに話し始めた加藤さん。昨日の物販でお話はしたし普通にしてるとただの目が大きい美青年って分かってるけど、でもやっぱ加藤さんが喋ると「喋ってる…!」ってなる。ほんとうにレアなんじゃないか?今回。

 

綾子さんやゆたかさんが喋る日が来たら、それはそれで幸せなんだろうなあ。たぶんすぐに玉置さんが喋っちゃうだろうなあ。

 

そういえば今日は、玉置さんが一張羅を着てくれていた。青と白の、某家具屋さんにしか見えないあのシャツである。いや、ほんとうに気合いはいってるやん最高…と思った。便所サンダル履いてたけど。

 

わたしとそこまで歳の変わらない、まだまだこれから売れていくであろうバンドなんだけれども、きっとわたしはこれからもずっと、サインを頂いたスウェットを洗濯するかしないか迷いながら彼らの音楽を聴き続けるのだろうな。

 

本当にありがとうMONO NO AWARE、入社してほんとうに仕事が辛かった時に、前を向いてずんずん歩ませてくれたのはあなたたちのお陰です。

 

対バンのTempalayも良かったのだけど、まだ不勉強なのでこちらは後日。ドラムのナツキさんが格好良すぎて一瞬でしゅきになった。

 

以上 セトリはわからんおぼえてない

歯が欠けている

大学生のころ、当時あった虫歯を1ヶ月かけて全て治したことがある。それはそれはお金と労力がかかる作業で、治した途端健診にも行かなくなってしまった。

 

先日、お弁当としてパエリアを会社に持って行った。フライパンで作ることのできる、独特の少し固い炊き上がりになるパエリア。シーフードを入れて真っ黄色な顔をしている。

 

食べていると見事に、詰め物が外れた。それはもう、びっくりするくらいあっけなく銀色の覆いが外れてしまった。

 

そこから私の歯にはぽっかりと穴が空いている。どうやって埋めればいいかも分からない、ただの空虚として穴が存在している。

 

ここ1週間ほど、全国に配属された同期が集まって研修を受ける機会があった。その後には海へ行くだけのイベントもあり、それはそれは毎日朝から夜まで笑い転げて過ごした。

 

それぞれの仕事は全く違えど、何かをやらかしたら「1年目」として同一の視点で評価を受けるちぐはぐさ、各々の責任とプライド、今後の目標、たくさんの話をした。

 

私はよく、同期から「辞めずにずっと会社にいそう」と言われている。それほど能天気に見えるのか、入社してから1番お客様に泣かされているのは私な自信があるぞ、なんて変なプライドを持ち出しながらも、その言葉が今の自分を支えてくれていると思う。

 

周りからの見え方で、その人の行いが決まることは沢山ある。「あれ?最近可愛くなったね」と言えば女の子は更に可愛くなるし、「やつれたんじゃない?ご飯食べてる?」と言われたら食欲は地の底へ落ちる。

 

私の欠けた歯は、誰からも見えない。楽しい時間を過ごした後に開いた心の穴も、見えずにそっとしたままだ。

 

要するに、そういうことなんだよ。そう。

 

今日:焼きそばパンが好物であると自覚

聴いた曲:Vampire Weekendのあれこれ